ひたすら信

おはようございます。

24日、愛宕寺のご縁日、お参りいただき素晴らしいご縁とご利益をいただいてください。
もちろんではないか、とおっしゃられるかと思いますが、これまで筆舌に尽くせないご利益を沢山私はいただいています。
「ひたすら信」。
一歩を踏み出しますときは心に「何かを求めたから、理由があったから」です。私も信仰の世界に一歩を踏み出したのはそれなりの「理由」があったからです。
しかししばらくしますと、その理由を「忘れることがご利益を得られる大本だ」ということに「気づかされた」のです。それ以来「全ての事柄が神意」として「ご利益」とでき、階段を一つずつ昇るように「次から次へと」ご利益が得られるようになったのです。
最初は自分の思いから生じたご利益を願って一歩を踏み出したわけですが、ご利益の形がないのに「形を追い求める愚かさを知ったのです」。
どんな形でしょう。「あの人より、この人より」という「人欲に犯された形です」。ですから道を求め、ご利益を求めながら心中は「不満だらけ、不足だらけ」の毎日。
こんなに修行をしているのに、こんなに勉強しているのに、こんなに祈っているのにという不平と不満と不信感、心が平安な時は一時もない。
信とは「信」であり、「ひたすら信じて祈る」のです、我欲を願うのが信ではありません。我欲を願っているからご利益が得られないのです。信の行動からは「無形のご利益、無限のご利益」があるのです。それを我欲の形を追い求めているために「ご利益とならない」のです。
「無念の念を念とする」、「無相の相を相とする」ことが「真実のご利益を得る」ことなのです。
御仏の言葉をただただ信じる。そう在れば「己が欲した以上のご利益となる」ことをある日「忽然と悟ったの」です。それからは日々「意識して無意識となるまで祈り、無念となるまで坐り、信とは信ずるとは、との工夫を続け無想になるまで四六時中祈る」ようになったのです。
ご一緒に今日は無心に祈り望外のご利益を頂戴致しましょう。己の小さな意識では捉えられないような大きなご利益があるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
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