観想

おはようございます。

ご来光を拝み無事富士登山から帰って来ました。参加者の皆さんお疲れ様でした、と同時にごくろうさまでした。厳しい登山だったことでしょう。香港組は火口お鉢巡りをして笑顔で帰ったとのこと、無事が何よりです。無事に帰ってきてこそ成功。
無事とは言っても下山時にやはり足を痛め寺に帰ったのは午後8時半過ぎ、本当にお疲れ様でした。
苦しさも楽しさも筆舌に尽くせません、筆舌に尽くせないことを体験したからこそ不屈の精神が養われます。だからこそ「まねぶ、実践」することです。
「観想(かんそう)」。
私たちが「ひたすら一途にまねぶ」ことに迷わないのは、表題の「観想」によります。
観想とは確かな「イメージ、ビジュアル」のことです。ですから退転せず、修行法の論理に従って歩むのです。経文の内容の多くが「観想」という言葉があふれています。だからこそ確かなこととして捉えることが出来て歩めるのです。何の根拠もなく盲目的に行動して何千年と継承される道理はないのです。
日々まねぶ、行動の中で「仏の言葉を話」、「仏の姿で行動し」、「仏の意志に叶う心で心とする」生活で姿勢を正し、言葉を正し、行動を正しているのです。ですから常に「表情」がさわやかとなるのです。なぜならば、明日へのイメージ、ビジュアルで観想した「世界が実現すると確信している」からです。
そしてどのような難儀が来たろうと「へこたれない」。何故ならば「大きな幸せを下さるときは」先ず「天は大きな試練を与える」と説いているからです。
確かなイメージで人生を歩みながらも、現実の試練でこそ「力や、知識、技量が試される、試すことが出来る」のであって、先日も書きましたが、言葉、知識だけでは何の結果も得られないのです。
明日は24日愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。ご一緒に観想し祈りましょう、午前10時からです。祈りは「意を御仏の教えに載せて意乗るから、祈り」です。我欲を願ったところで叶わないのです。論理に従うからこそ現実化するのです。
自分の大切な心を教えに載せて確かに歩むことで目標に達するのです。
今日と明日、心華寺ではM&Uスクールが開講されます。受講生の皆さん、今月もお会いできず、皆さんが来寺する前に愛宕寺に出かけますが、しっかり学び実践ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。