一途

おはようございます。

昨朝7時半に予定通り富士登山に出発しました。午後3時前五合目からの電話で香港から参加の3名に合流し元気に登山開始の連絡、午後9時過ぎ元気に八合目の山小屋に着いた連絡がありました。
私は見送って土用の丑の日でしたので、お昼にご近所のIさんやOさんが一人なのを知っていて、美味しいウナギを持ってきてくれました、ごちそうさまでした、IさんOさん、楽をしてウナギをいただける、罰が当たるかもしれません。そうならないためにも、しっかりお勤めをします。
今頃は頂上を目指し胸突き八丁を経てご来光を拝みホットしている頃かも知れません。胸突き八丁はどのような人生にもあります、そこでへこたれずに在れば、快感となるのです。快感を感じればどのようなことでも乗り切ることが出来る己を作ります。
「一途」。
この道を歩もう、と決めたら真っ直ぐに一途に進むこと。いつも書いていますように、目標を立てればこそ「苦しさが見えてくる、感じる」。そのときに「もっと別の楽な道があるのでは」と迷ってしまったのでは何事の道でも全うすることは出来ません。
頂点に至る道は様々にありますが、必ず頂点に至るのです。一緒に歩いていると考えている仲間や同志であっても、同じ道を歩んでいるのではありません。人と同じ道などは歩みようがないのです。一緒に歩んでいると思っているだけです。
人と共に歩んでいるという励みと出来たとしても結局自力で歩を進めるしかないのです。
そこで「一途さ」が大事です。その覚悟があれば必ず到達します。何事の道も胸突き八丁は存在し、そこを乗り越えることがなければ全ての道は、「しんどいだけだ」、となるのです。
「刃の下は地獄なれ、そこをくぐれば、あとは極楽」、という宮本武蔵の言葉が快感の境地、覚りの境地を端的に表しています。
論理をいくら知ったとしても論理を体現する、現実化するには胸突き八丁はあるのです。論理を知って「体を通したとき」一途になれるかどうかが成功の鍵でもあるのです。
この富士登山を「日本一の会」と称し、今年で23回目、日本一となるには「山高ければ、谷深し」を体感して貰うためでもあります。高きを目指せば、論理の中に書いていない体感しなければ出てこない「己の心の世界にある様々な気持ちのあることにも気づいて欲しい」と登山を企画したのです。以外と分からないのが己の心、気持ちです。己の心、気持ちのコントロール一つで成功、不成功が決まるのです。
富士登山は登山をよくする人には面白味がないと言われます。なぜならば、登るだけであり、そして周囲の景色もあまり良いとは言えないからです。しかし考えて見てください、人生の山を登ろうとする最初、若いときには、「人に仕えるのが先ず仕事」。仕えることに快感、面白味を感じ、意義を感じるようでなければ、己の道などは歩めるはずもないのです。
自分の目標を達成するには先ず「手がかりとして人様に仕えることから始めるのが人生」。そこで「目標を見失わない一途な心胆を練り上げる必要性がある」のです。指示されて、そこで結果を出す、結果を出しながら「やりがい、生き甲斐を体感する」ことを体得してくれればと41才の時皆さんにお声がけをしたのです。富士登山は動く禅、動禅を体得してもらうのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援しています。