親しき仲から

おはようございます。

誠澄はお盆のお参りで忙しくしていますが、私は普段より静かに留守を守っているお盆です。
迎え火を焚いてご先祖様をお迎えになられたことでしょう。厳しい暑さの中ご先祖様にお仕えする、厳しい状況が出来ますと思わず肉親の情に甘えてしまう、気をつけなければいけません。
「親しき仲から」。
人様に対するときには礼節を確かにしても、肉親と相対するときはあまり礼節とか、礼儀を考えずに何でもないことで争いになる場合が多くあります。気をつけなければいけません。喜びも、諍(いさか)いも小さな事が大きくなるのです。
これくらいのことと考えていればいるほど大となりますから気をつけるべきです。
いずれにしても諍いが生じるということは「器が小さい、度量が小さい」といってもいいでしょう。身近な人(家庭でも、職場でも)はある意味では「最も大事な人」ですから「先ず受け容れる」ことです。
何事かで争ったり、意見が合わなかったりするということは大切な周囲の人の性質や、価値観を知ろうとする普段の努力がないから生じることであり、それでは何を手伝ったり、サポートしたりすれば喜んでもらえるのかという思いやりやアイデアも湧いてきません。
大切な人への思いやりもない、ということはあまり縁のない外部の人達(仕事相手もしくは初対面の人達)に対すれば、もっと情報量が少ないのが当然でありますから、何をやって上げれば喜ぶのか、などという発想すらも思い浮かぶはずもないのです。
そのような態度で日常を送っているわけですから、気配りや、心配りなどと言う言葉は知っていたとしても、行動にすればどのような態度行動なのかなどと言うことなどは皆目分かっていない、見当もつかないといっても良いのです。
日常の身近な人達への思いやりが如何に人生を左右する本であるかということです。それを普段から意識してやっていなければ外に広がるわけはないのです。身についていないことは出来ないのが相場です。先ず人を受け容れてこそ人との和が生まれ対応力がつくのです。でなければ日々対立する相手、敵を作っているような生活を送っていることになるのです。
不満や不平、争う気持ちが湧き出るのは、意識の中に相手を見下しているから起きるのです。慢心からは何も良いことは生まれません。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。