競わない

おはようございます。

毎日祈ります、祈りは自分を無にすることでもあります。そして雑念を払うこともできます。無になりますと言葉では言いあらわせない喜びが湧き全てと和合したようになり心身共に快感を感じるのです。祈ると言いますと何か誤解があるかも知れませんが、特定の神仏を拝むのが祈ると言うことではありません、祈りは祈りであって、排他的な偏る心ではありません。
「競わない」。
祈りは「和合」です。祈りは「人を好きになること」です。祈りは「全てを受け容れること」です。
世の中の多くの人は競い合って自らラッシュを作って歩んでいるように思います。我先に行こうとして「混雑を招いている」。目標に到達する前に疲れ果ててしまうのではないでしょうか。
私は自分の人生の行き先を知っていますからあわてませんし、競うこともしませんし、競う必要もありません。だから楽しいのです。そして周りの景色も楽しむことが出来、道連れも出来る。良いことが一杯です。
競う人は楽しいことを得たいと考えながら、人を選別し見比べてイライラ感を募らせ、ストレスをためてしまっているのです。そして自分を傷つけ人をも傷つけてしまっている。
私は人が好きですから、「人様が先です」。「お先にどうぞ」です。好きな人は大切にするものです。大切にしますと、考えていなかったような「ご褒美がある」のです。自分で生き方を決め、自分の生き様を自然に行っているだけなのですが、「ご褒美がいただける」、これはものすごい「喜び」です。
祈りは自由なのです。自由であればこそこだわらずに何事にも無心に当たれるのです。無心になれなければ「心ここにあらず」で何をやっていても本気にはなれません(目の前のことをしながらも他のことが気に掛かっている状態)。競うことはこれほどに自身を損ない、人をも損なっているのです。
今週の中から9月に入ります、無心に清らかに新しい月を迎えるように致しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。