慢心

おはようございます。

「にんげん学」小倉初講座ご出席の皆さんありがとうございます。学びは己を戒め精神を高め清めます、その上で使命感を忘れさせません。爽やかな心になり不安のない人生であることができます。
学びを人の上位に立つため、人より優位に立つためと対立的、二元的に考えたときから何を学んだとしても楽しい人生とはならず、不幸を積みあげていくようになります。
私たちが何かにつまずいたり、慢心を起こしてしまうのは人から頭を下げて貰ったり、願い事をされたり、誉められたりしたときです。素直に喜ぶことは大切なことですが、それは人様が「礼節を守ってくだされたこと」であって、何も自分が偉くなったのでも秀でているわけでもないのです。
このことに気づくことが出来ないようでは次第に「人心を失ってしまいます」。お店や会社に栄枯盛衰が在るのはなぜでしょう。それは上に書いたことが一つの原因としてあるのです。
「慢心しないために」。
誰しもが自分が可愛いことは間違いがありません。私とてその例外ではありません、自分が一番可愛いのです。だからこそ誤ってはならないのです。何を誤ってはならないのでしょう。相談を受けたり、上に立つ立場に立ったりしたときの人様との接し方です。
「自分を勘定に入れず」とは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩の一節です。とても尊い言葉です。私の大好きな詩でもあり、心がけている生き様でもあります。私たちはついつい自分優先で物事を考えてしまいがちです。特に相談を受けたり、上位に在ったりしたときです。
自分の都合がよくなるように思わず嘘をついたり、言わなければいけないことを忘れたり、人が見ていなければやるべきことをやらなかったりと、人の迷惑を考えず自己中心的行動をしてしまったり、このような経験は誰しもが持っているはずです。そして後で後悔するような事態となるのです。
「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ(あらゆることを自分を勘定に入れずに)」ということは、自分優先の考えを離れて他者の立場や思いとひとつになるということです。
このような思いをしたとき、慢心を起こさず、つまずくことを少なくするのです。それはお互いが助け合い支え合う世界になるからです。仕事をしているうちに「させていただいているというお蔭の気持ちを忘れ」、「俺がやっている」という思いが強まり、報告も連絡も相談もしなくなり、自ら墓穴を掘っていることにも気づかなくなるのです。
「自分と他者」という対立的なものの見方をしている結果が慢心となるのです。優位に立ちたい、誉められたいという意識が周囲を見えなくするのです。
学べば学ぶほど自分を勘定にいれず素直になり精神が清められるのです。九州地区の皆さん今年も一年ご一緒に学びましょう。来月もよろしくお願い致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。