これでいいのだ

おはようございます。

会社に行きたくない、学校に行きたくない等々、物事を拒否したくなることは一生のうち何度か誰にもあるのではないでしょうか。この問題を解決する策は、これ、というものがありません。ありませんが、やはり物は思いよう、考えようということもありますので、やはり「自分の価値観、プライド」を持つことで解決がなるのではと思います。
何ごとも行動に出るわけですから、であるならば自分の意志で行動しようとあるとき考えたのです。
「自分の人生これでいいのだ」。
何度か書いています。私はある時(中学2年生くらい?)から「人様と競争をしないで、自分を積みあげる」という生き方をしています。ですから人様と比べますと殆どのことが劣っています。卑下しませんが、現在もそう思っています。そうして「あることに沿うて生きよう」と。
自分の道を歩こうとは思ってもやはり恥ずかしさはあります。年令だけはみんなと同じように重ねるわけですから、出来なければ悲しいですし、恥ずかしい。しかし出来ないことは認めなければいけません。自分に嘘をつけば結局は成長を止め、自分の大切な人生を誤魔化すようになるのではないかという恐れがあったからです。
ですから高校卒業後、比叡山に己の道を求めたときから、比叡山が決めたコースに入らず、「門前の小僧習わぬ経を読む」という在り方で自分の道を求め高めようとしました。「これでいいのだ」と。
比叡山の山上の寺院、そして麓の寺院を囲む土塀があります。その土塀を支えているのが穴太積(あのうづ)みという積みあげれば絶対というほど崩れないと言われる美しい石積みがあります。なぜ崩れないのかと言いますと、表面には出ていない「小さい石がささえている」ので崩れず、美しく積みあげることが出来るのだそうです。
この石を積む人たちを「穴太衆」といい全国のお城や石垣を積んだと言われ、今でもこの技を伝承しています。
聞いたときは凄いなぁ〜とだけ思ったものです。しかし時間が経つにつれて「小石のように生きよう」と考えるようになりました。価値観を持ち、プライドを持って生きる。
私が小石のように生きるということは「偉いお坊さんや素晴らしい人に出来ることでお手伝いをさせていただこう、人に沿う」という在り方です。これは今日でも変わりません。ですから毎日楽しく在る事ができます。誇りを持ち、プライドを持って歩んでいるのです。これでいいのだ、と。沿うて歩んでいますと、人様はアドバイスも助言も惜しまず、導いて下さるのです。それは誰でも人生を大事にしているからです。
そのようなことで、昨日も嬉しいことがありました。大分、豊後高田市からお二人の「厄払い」祈祷のため家族全員でお参りいただいたのです。家族で「厄を乗り越えよう」とする信仰心に微笑ましい暖かさと熱いものを感じました。ご本尊様からのご褒美、帰られてからほのぼのとした気持ちの半日でした。
明晩は「にんげん学」小倉講座、心学を学び確かな価値観を持ちプライドを持って歩んで参りましょう。会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。