おはようございます。

週明けは雨の始まり、「一水四見(いっすいしけん)」、雨(水)もそれぞれの立場や価値観で違って見えます。何でもないときは客観的に物事を見ることは出来ますが、問題をかかえますと客観的に見ることができません。
一水四見とは唯識(ゆいしき)のものの見方で認識の主体が変われば認識の対象も変化することの例えを言っています。
結果が思わしくないという自分が居たとします。今までやってきたことが間違っていないまでも、どこか違っていたから(相手も変わる)結果が思わしくないのです。故に「窮すれば変ず、変ずれば通ず」とならなければいけないのですが、そうはいかないのが私たちでもあるようです。だからこそ「心学が肝心」なのです。なかなか「自己否定は難しい」。それ以上に「他者からの否定は反発を持つ」。故に一向に進化できない。
「識(しき)」。
一水四見、どのようなことでしょう。人間にとっての河=水は天人にとっては歩くことができる水晶の床。魚にとっては己の住みか。餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ、というように、見る者によって全く違ったものとして現れるということです。
似たような例えに次のような古歌があります。「手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池」。猿沢の池は奈良にあり、その側には興福寺があります。誰かが手を打ったのでしょう、そうしたら鳥は飛び立って逃げ、鯉は餌をくれるものと寄ってくる。お女中さんはいつも手を打たれて呼ばれていますので、お茶を持ってきたということです。
ですから自身の識で一旦固定観念としてしまったらなかなか他の見方が出来ないと言うことです(発想の停止)。そこに視野狭窄となる落とし穴が潜んでいます。
識は確かな存在でなく、不安定だからこそいろいろな人や物事に興味を持てと示唆している「大きな力でもある」のです。不安定だからこそ安定を求める、この繰り返しが「学」です。呼吸が停止すれば死を意味するように、他に興味を失えば人としての価値も終えるのです。
故に様々な人の価値観を知る。優れた人の見方を真似ることの大事が理解できるのが「心学」です。固定観念にならない見識が大事。悲しみ喜び、この極で物事を判断しないようにとの雨かも知れません。好き嫌い。損得で判断をすれば大きな過ちを犯すのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。