仏教聖典

おはようございます。

日課のお勤めの時、仏教伝道教会発行の「仏教聖典」も読んでいます。お経を和訓にしたものです。お経は読誦したときの「リズム、音の素晴らしさ」に魅力があり高揚感がもたらされ、お経の音が耳に残った心地よさの後に読みますからお釈迦様の説かれた教えが心に真っ直ぐにストレートに入り、クールダウンするような気持ちの良い心理状態になります。
「仏教聖典」。
書かれてあることを少し紹介します。「はげみ」、第2章実戦の道、第4節「仏のことば」2項。
ことばだけ美しくて、実行の伴わないのは、色あって香りのない花のようなものである。
花の香りは、風に逆らっては流れない。しかし、善い人の香りは、風に逆らって世に流れる。
眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。
道を行くには、おのれにひとしい人、またはまさった人と行くがよい。愚かな人とならば、ひとり行く方がまさっている。
猛獣は恐れなくとも、悪友は恐れなくてはならない。猛獣はただ身を破るに過ぎないが、悪友は心を破るからである。
これはわが子、これは我が財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。おのれさえ、おのれのものでないのに、どうして子と財宝とがおのれのものであろうか。
愚かにして愚かを知るのは、愚かにして賢いと思うよりもまさっている。愚かな人は賢い人と交わってもちょうど匙(さじ)が味を知らないように、賢い人の示す教えを知ることができない。
新しい乳が容易に固まらないように、悪い行いもすぐにはその報いを示さないが、灰に覆われた火のように、隠れて燃えつつ、その人に従う。
愚かな人は常に名誉と利欲に苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。
過ちを示し、悪を責め、足らないところを責める人には、宝のありかを示す人のように、仰ぎ仕えなければならない。「法句経(ほつくきよう)」
等々が書かれています。お経を和訓にしたものです。置いてあるホテルもありますのでご覧になった方もあるのではないでしょうか。お経は何かあったときの羅針盤
何も問題が起きない人生などはあり得ません。照る日もあれば曇りの日も、風雨にさらされる日も、登りもあれば降りも、でこぼこも、暑さ寒さも。お金があってもどうしようもないときも、時に己を見失うことのない羅針盤を持つことです。
一度寺に来てご一緒にお読みください。私は朝に感動し一日を快適に過ごし、夕方は心安らかに終え、お陰様で夜はぐっすりと休んでいます。
もし仏教聖典を毎日読んでみたいというご要望がありましたら実費でおわけします。ご連絡ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。