内なる喜び

おはようございます。

私たちには五感があります、感覚です。五感からの刺激を受けていろいろな気づきをしています。この気づきが又楽しいのです。しかし楽しいことには必ずといってよいほど落とし穴があるものです。
どのようかことかと言いますと、「刺激を求める」という落とし穴です。このようであっては「自分を見失ってしまう」こととなるのです。「何かいいことないかな〜」ということばかりを求めて「疲れ果てる人生」となります。
「内なる喜び」。
考えることは皆さんよくやることだと思いますが、瞑想、無心になることはいかがでしょう。瞑想、無心になってこそ事に対したとき真に考え内に求めるることができるのです。多くの人が考えると云うことは、外の世界に惑わされている、迷っていることに似ている状態なのです。
そんなことないよ、とおっしゃるかも知れませんが、考えるということは物事の解決を計るということが多いのではないでしょうか。それらは考えさせられている、ということに外ならないのです。
瞑想は、無念無想といいます。本来の自分に立ち返ることです。数息観(出入りする呼吸を数えることで心を統一する)をひたすら行うことを禅、三昧と言います。無心に数息観を行ずることができてこそ、本当の考えると云うことができるのです。
考えるとは問題を解決するだけではいけません、新たな発想となり、具体的な行動が出来るような工夫と成ることが考えると云うことです。
ですから問題に執着している、こだわっているようでは「新たな発想とはならない」のです。
気づくことができる内なる「能力」が外の刺激を受けることで惑う迷うのではなく、外の刺激を受けて新たな発想と為すには「瞑想」が大切なのです。日々10分だけでもよろしいのです。静かに瞑想を行うことをすすめます。数息観から真実の内なる悦びに出会えます。
瞑想の代表であります読経三昧、明日24日は愛宕寺「月例幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです。土曜日でもありますご家族ご一緒にお祈りしましょう道理を説いたお経が魂に響き内なる悦びがあふれ出します。悦びがあふれ出すことが身につけば諦めることをしない自分、足りる富を確立するのです。その安定の喜びに満ちたとき真実の福徳を得られるのが凄いのです。
心華寺ではM&Uスクールが明日から一泊二日で開校されます。受講生の皆さん気をつけてお運びください。今月も留守をしますことお許しを。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。