行う

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」お参りありがとうございます。法要後の後片付けにお掃除感謝いたします爽やかな一日でした。法要当日が楽しいのはもちろん、さらに楽しいのはこれから一ヶ月皆様を思い祈り過ごすことです。これが又楽しくワクワクです。
思うこそ人生、思うこそ喜び、思うこそ深く深く人を思える、それが楽しいのです。その思いが日々の事に力を尽くせるのです。だからこそ思いが実現、現実となるのです。
楽しい思いをするのは良いことですが、人を悪く思うのはいけません。なぜ人を悪く思うのがいけないのかと申しますと、自分が生きるために「人を誹るから」です。そのようなことで豊かで楽しい人生とはならず敵を作るだけ。人を誹ったり、追いやったりする、そのような人間はその時は上手く行ったと思うかも知れませんが、やがては「己の口が禍して身を滅ぼす」のです。
言葉は「己を活かし、人をも活かすことにある」のです。自身の成功は人を活かすこと、これが「繁栄の本」。勝ち負け競争意識で起業(仕事)をしたとしてもいずれかは駄目になります。なぜかと言えば勝ち負けでやっていればやがて敗れるのは火を見るよりも明らかだからです。
どこまでも人生は「助け合い・慈悲・仁・共栄」が心底になければなりません。共栄があればこそ仕事も「分かち合える」のです。一人勝ちなど無いのです。
「行うこと」。
私たちが学ぶのは「行う」ためです。行う気がなく学んでも「意味を成しません」し、世迷い言を言う人間に成り下がります。(世迷い言=わけのわからないぐちや不平。繰り言。)。
行う気が在れば多くの事を学ばずとも「学びます」。学ぶことは周囲にいくらでもあることに気づくのです。そして直ぐ行動するのです。「本気で行う気のない人間」は「条件や知識を問題にする」のです。何もかも条件が調ってから始めようなどと言っているようでは学ぶ気も、夢に向かって行動する気もないのです。口先ばかりが上手な人で事を為した人はおりません、それは「慈悲・仁・共栄」の心が心底にないからです。
慈悲・仁・共栄という気持ちは何も遠い人に発揮するものではなく「身近な人たち(家族、親、兄弟、会社、部下、社会の身近な人々等々)」に喜んでもらうためです。周囲には苦しみ悩んでいる人は大勢います。苦しみや悩みを取り除いてやろうと思い立ったら直ぐ行動するはずです。
行動しない、出来ないということは昨日書きました「こうでなければいけない」という自縄自縛にとりつかれているからです。火事がおきれば消防車を待たず消火活動をするはずです。慈悲、仁という意識は「やむにやまれず」という気持ちでもあります。
人は生きている間何ほどのことが出来るのでしょう、僅かなことしかできません、しかしその僅かなことをしっかりとやることが「大事な使命」なのです。寺では庭を掃き、掃除を行い、修行したいと思う人を受け入れることが大事なのです。なぜでしょう、人は生まれ変わり死に変わりします。その人達に継承して貰うためです。
今日在る大企業も継続してきたことがあればこそです。一人が僅かなことをやり遂げ、そして又一人と受け継がれ積み重ねていくのです。こうして人はスカイツリーのような塔も作り、大山をも動かし、宇宙へも旅立ってきたのです。
言葉で人を殺すようなことが学問ではありません、天命、使命に従う者は永遠の命を生きるのです。「真の命とは受け継がれる」のです。受け継がれてこそ大木と化すのです。明日は「にんげん学」小倉講座、会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。