人が弘める

おはようございます。

昨日はいいお天気でしたが残念ながら富士のお山は雲の中、何もかも上手く行ったのでは良くないよ、と天がお隠しになったのでしょう。
何ごとも中くらいが宜しいのです。過ぎたるは及ばざるがごとしと、心が貧乏になってはよろしくありません。
昨日帰りましたら熊本でビワキューをなさっているS先生が突然訪ねてくださいました。縁がある方というのは不思議ですね、打ち合わせも何もしていないのにも関わらず、私が寺に戻る時間と同じ時間に訪ねてくだされた、連絡も何もなしに突然でしたが、お会い出来ました。S先生わざわざありがとうございます。
「人が弘める」。
論語、衞霊公第15、28条に「子曰く、人は能く道を弘む。道、人を弘むるに非ず。」。意は「孔子言う、人間が道を弘め得るので、道が人を弘める訳ではない。」。
先日の展覧会のM先生、昨日訪ねていただいたビワキューのS先生、またいろいろな世界で活躍をされている皆様を拝見してこの条を思い浮かべました。道は元来形のない、抽象的なものです。この道を活用するのは、「人の力」であります。両先生は何も無い無形の道を「道とした」のです。
例えますと、道は水の如きものであり、人は「水を盛る容器」のようなものです。水には大小の別はありませんが、器の大小によってその大小が決するのです。また道は「空気」のようであって目に見ることは出来ません、しかし人が形を作り足跡を残し「道の存在を示していく」のです。
ですから道は人が弘めるものだと孔子は言うのです。道が人を弘めてくれる訳ではないことを知り、信じて道を歩むことが道と為すのです。故に道が道と為し得て結果人を弘めるに至るのです。
M先生も、S先生も今では多くのお弟子さんを導いておられます。先日から感動の連続です。知りさえすれば名が上がり地位が得られると考えることはまったく過った考え、学びは道を知るゆえんであり、仕事は道を実行するものです。それでなければ道と為さないことを知りましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。