幸運を

おはようございます。

昨日は動ぜずに己を磨くことを書きました。一日の事に当たる前に起点として修養しているものを持っていますか、いかがでしょう。私は毎朝祈りを一日の起点としてスタートしています、いわゆる人生に対する姿勢です。
「平常心是道(びようじようしんぜどう)」という言葉があります、平常心のことです。何事があっても取り乱すことなくしっかり物事を判断し対処しなければ後々大きく方向が違ってきます。
「幸運を手にする人は」。
人がもし幸運を手にする人と、手に出来ない人がいるとするならば、どこでこの二者に分かれてしまうのでしょう。その分かれ目が「人生に対する取り組む姿勢にある」のです。
中庸に「君子は易(い)に居て以て命を俟(ま)ち、小人は険を行って以て幸を徼(もと)む。」
「易に居て以て命を俟つ」とは、たとえばある仕事を任せられ、その職責をきちんと果たすことだけを考え、そのほかのことは念頭に置かない、ということです。
「険を行って以て幸を徼む」とは、身分不相応なデカイことや危険なことに手を出して、ラッキー(僥倖(ぎようこう))を期待することです。オレはこんな仕事をするような人間ではない云々です。
与えられた仕事に感謝を持たず、そこで己を磨くことができない人は、希望的観測に走り誇大妄想に陥りやすく、「険を行って以て幸を徼む」ことになりがちです。このような考え方では、いくら成功を考えていたとしてもおぼつかないのです。
目の前に幸運の女神が居るのにもかかわらず、遠くを追い求め、幸運を手にすることができなくなるのです。
与えられた職責を見事に果たすことに日々工夫を重ねることです。与えられたと自覚したとき初めて「真実の場に目ざめ感動し使命感の確立となる」のです。又そこに居て学ぶ喜びを知ればこそ人生の花が開くのです。そのためにも心を平常心に保つ楽しい自分の世界の修養を為すことをおすすめします。自分の楽しい世界を持てば心が広く豊かになること受け合いです。せせこましい小さな世界でコセコセと評価に悩まずに人生を謳歌で来るのです。
妄想、希望的観測でなく、実践のなかでの努力(勉強)につくすことが誠意でもあるのです。与えられた仕事に誠意を尽くすことがすでに幸運を手にしているのです。
明晩は「にんげん学」一宮講座。自身の幸運を手にする場に自ら歩んでいく世界が「にんげん学」。また明後日8日(金)は中部地区・心に華を咲かそう会、第10回「チャリティゴルフコンペ」。どちらも自身を高めるために必要なことです。会場でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。