思い

おはようございます。

24日です、愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」皆さん是非おまいりください午前10時からです。いつも書いています、身近な所に楽しく力を尽くすことが人生を豊かにします。一番身近な事の代表は「思い・心」です。未来は不確定ですが、確実に変わることは事実。故に「未来を楽しく思い描き今を生きる」。
「思い」。
「万法帰一(まんぽうきいつ)」法は一に帰す、また「福聚海無量(ふくじゅかいむりよう)」ともお経に説いています。どのような方法でも法は法であり、優劣など無く、現実の目の前を肯定し受け入れて行えば楽しく人生過ごすことになるのです。
どんな川でも必ず海に流れ込み一つになります。ですから福の聚るところは海のようなものとお経には説いて在るのです。福が一杯の人生と為したいのであれば「受け入れよ」ということ。福とは物の有無ではなく、思いの豊かさです。人から見て貧しくとも幸せと感じている人もあり、物が沢山にあっても不足に思っている人もいます。
この水でないとダメなどという疑問符は海、自然にはないのです。だいたいが正しい目も持っていないのにチョイスするからババを掴むのです。生きる上に於いて、何で、などと疑問符で考えるから蟻地獄に落ち込んだように果てしない苦しみにもがくことにもなる。
私は今が楽しくなければ未来も楽しくないと考える人間。また楽しくしない人間に道連れもできませんし楽しい未来もないと考えています。苦虫を噛み潰したような顔の人には近づきませんし、いつも不平不満、文句を言っている人間など上司だから我慢しているのであって、わざわざこちらからは親しくならないのです。社会的に立派だと言われている人間であっても文句しか言わない、ケチしか付けない人間にもできれば近づきたくはないはずです。
人間がもし不幸であるとすれば「思いが悪いからかも」しれません。単純に「なるのだ」と自分の思いで行動すれば楽しくなるものです。そんな単純なことではないよ、と反論があるかもしれませんが、方法は千差万別、先日の富士登山と同じで何通りもの登山道があるのです。
昨日は自分を偽らずということを書きました。皆さんはお仕事と自分の人生を分けずに混同して考えるから悩みを生み出すのです。仕事は仕事、自分の人生は自分の人生です。いわゆる公私混同をしない。上に書きましたが「万法帰一」であり、福聚海無量です。受け入れて精一杯楽しくやることです。選択できると考えるから悩むのです。
精一杯やって仕事ができなければできる人を会社は見つけるでしょうし、いつまでもできない人間を使ってぐちぐち文句を言っているような会社は早晩潰れてしまうのです。
受け入れてヒントと為し、発想と為すようでなければいけません。楽しくない人生を送れない人は否定しているからです。せっかく自分の所にお出でいただいたのに拒否したのでは貧乏神と一緒にいる福の神が居着いてくれるというチャンスを逃すことと為るのです。
貧乏を嫌がり、今を否定し、現実を否定し不平不満を言っているようでは福の神は働いてくださらないのです。皆さん混沌とした中からしか万物は生まれないのです。「水清ければ不魚住」。貧乏神と福の神は一体です。貧乏の時に生きていることに感謝出来ないような人間に福の神は力を発揮してくれないのです。この世は陰陽、上下、生滅が実相だからです。
未来はわかりませんが未来は変わるのです。さて皆さんの一番近い心の内には何がありますか、私には「信」があります。懸命に楽しく生きている人間の心に不安の入り込む余地などはなく。足下の一歩から幸せに通じているのです。午前10時からです、ご一緒に楽しくお祈りしましょう。
ご本尊の権現様の本地(本当の姿)は地蔵菩薩様です。大地は全てを受け入れるから豊かであり万物を育むのです。一番下にありながら一番豊か。故に万物は離れないのです。その徳、教えを私は楽しく実践しているに過ぎないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。