過去は

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」お暑い中おまいりいただきありがとうございます。暑かったですね〜ほ〜んと、しかし暑かったお蔭で逆に集中できましたので法要後の爽やかさは何とも言えませんでした。ご一緒にお祈りいただきとても嬉しかったです。
これが今を楽しむことですね〜、過去でもなく、未来を心配せず、どんな状況の中にあっても今を楽しむ心意気が在れば心が豊かです。
皆様には必ずやご本尊様のお加護があります。添え護摩祈願をいただきました全国の皆様安心してお過ごしください。
「過去は戻らず」。
以前読みました井原西鶴の「西鶴置土産(さいかくおきみやげ)」という話があります。こんな風に生きられればと思っています。少し場違いかも知れませんが紹介します。どんな風に受けとめてくださるかはそれぞれでしょうから?。
「上野の池ノ端に大きな金魚屋があり、そこへ毎日ボウフラを売りにくる、身なりのわるい男があった。あるとき、三人の金持ちが金魚を買いに店にやってきて、その男をふと見ると、むかし吉原の遊郭でよくいっしょに遊んだ、利左右衛門という大尽の変わりはてた姿だった。三人は驚き、利左右衛門に同情して、金を出し合い、苦しい生活を助けてやろうとするが、当人は、「女郎買いの行く末かくなれる習いなれば、さのみ恥ずかしき事もあらず。」といって、どうしても金を受け取らない。
 だが、「みなさんのお志はまことにありがたい。久しぶりに会ったのだから、ひとつ酒でも飲もうじゃないか。」といって、先に立って飲み屋に誘い、「これっきりないが。」といって、二十五文を飲み屋のおやじにぽんと投げ出した。さすがに、きっぷがいい。
 それから四人で利左右衛門の家へ行こうという話になって、貧しい侘び住まいにきてみると、むかし吉原に出ていた利左右衛門の女房が、顔見知りの三人を笑顔で迎える。しかし、まずお茶と思っても、湯をわかす薪も炭もない。やむなく女房が仏壇の扉を包丁でたたき割って、薪にするしまつ。子どもは裸のまま、つぎはぎだらけのふとんにくるまっている。ひどい貧乏所帯。三人の友だちはいよいよ同情して、帰りぎわに、持ち合わせた金を集めて、そっとおいてきた。
 すると利左右衛門があたふたと追いかけてきて、「これはどういう金か。もらう筋はない。」と、道に投げ捨てて、どんどん帰ってしまった。それから二、三日おいて、三人が使いの者に贈り物をもたせ、利左右衛門の侘住居にとどけさせると、家はすでに空き家となっていた。」。
人生こうありたいと私は思うのです。粋じゃないですか、歩んだ人生に後悔何ぞしない、また家族も皆一緒に今を楽しんでいる、貧乏が恥ずかしいなどと考えていない。あなたを信じてついてきたのになどという野暮な愚痴もいわない。
失敗したくらいでクヨクヨしない、叱られたくらいで落ち込まない、進んで自分がやったこと。ウジウジするようでは最初から叱られる、失敗することをやっていたのです。
日々を楽しむような心意気、独立自尊の楽しさ、生き様、粋な人生、明晩は「にんげん学」小倉講座、何でも楽しめるように学びたいですね。明晩の懇親会のお料理が楽しみです。お多幸さんよろしくたのみます。
人生事後の身の処し方如何が人間の真価。この物語をただ単に作者の作り話と受けとめるか、己のこととして投影し考えるか?、出処進退如何で人間の価値が決まるのでは?。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。