撰ぶ

shibasaijyo2012-07-26


おはようございます。

学び、知識は活用しなければいけません。活用しなければ用をなさないからです。論語里仁篇に「里は仁をよしとす。撰んで仁に居らずんば、いずくんぞ智を得ん」。意は「村は仁に厚い気風の村がよい。住む場所を選ぶのに、仁の村を選ばない人は、とても智者とはいえない」。
「撰ぶ」。
上の語はまことに名言です。選べる立場に在る人であればいいのですが、家や会社、社員があったのでは勝手に今の所を捨てて選ぶなどということはできません。
しかし面白くない会社、家に住んでいたのではやはり智者とは言い難いことです。上にいながら自分の会社に不平をいう社長さんがいますがこれまた私には信じられません。
人には道があり、道は未開の地でも国でも行われます。どんな家や会社でも、道が行われないことはないのです。自らこの道を行って、不仁の会社を仁義の会社にして、先代から伝えられた会社を確かにすることこそ智というべきです。こうでなければ、けっして智者とはいえないのです。
さて、その不仁の会社を仁義の会社にするには、それほどむつかしくはありません。まず自分で道を踏んで、自分の家を仁にすることです。自分の家が仁にならずに会社を仁にしようとするのは、白砂を炊いて飯にするようなものです。自分の家が真実に仁になれば、会社が仁にならないことはないのです。
「大学」に「一家仁なれば一国仁に興り、一家譲りあれば一国譲り興る」。意は「一家に仁の道が実現されれば国全体も仁に興る。一家謙譲の徳が実現されれば、国全体も謙譲の徳が盛んになる。」。
またこのようにも言っています。「まことに仁に志せば悪なし」。意は「心から仁を志向すれば悪はなくなる」。
何を本として末とするかを確かにすれば物事はなっていきます。論語顔淵篇に「直(なおき)を挙げて諸(これ)の曲がれるを措(お)くときは、よく曲がれる者をして直(なお)からしむ。」。意は「正直者を引き立て、不正直者を捨てて用いなければ、不正直者を正直者にすることができる」。
善人や正直者を挙げて、たえず厚く賞賛するならば、必ず四、五年を経ないで整然とした会社、仁義の会社になることは疑いがありません。
会社がもし傾くという事態になったとすれば、この原理がわからず、書を読んでも活用することを知らず、わが会社を仁義とすることを知らず、いたずらに迷って、社員の不仁をにくみ、また社員は義を知らず、人気が悪く風儀が悪いと罵って、去っていくのです。また経営者はリストラと称して去らせてしまう。
今夜は「にんげん学」小倉講座、道義を学びましょう。そして活用する智者となりましょう。智者とは人に言われる人ではなく、人に知られるために行っている者でもなく、自覚し道をエネルギッシュに歩む者のことです、お間違いなく。
一昨日愛宕寺の月例幸福開運護摩祈願祭におまいりの信者さんのお一人が23日の朝日新聞夕刊をお持ちくださり、数年前結縁潅頂を授けてくだされた101才になられる第255世天台座主(今は引退なされています)渡辺恵進大僧正猊下の新著「101歳・人生あるがまま」の記事の中で、長生きの秘訣は「やると言ったことは一生懸命やる、最後までやる」「今の世の中、考えるふりをするだけで何もしない傾向があるように思います」という言葉が書かれてあり、活用、行動が大事だということです。101才の長老のお言葉は厳しいメッセージであり当たり前のことと胆に銘じなければいけません。
今日の写真は下関の下水のマンホールの蓋、フクのデザインかわいいでしょう。以前から載せよう載せようと思いつつ忘れていたのを思いだし昨日撮影。余りの暑さでフクも干物になる前、活きのいいときに!!!なわけないか?。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。