誤り

おはようございます。

心華寺で昨夕まで開校されましたM&Uスクール受講生の皆さん一泊二日お疲れ様でした。勉強は実践のため、必ず一つ学んだことを実践ください、それでこそ学びです。
こんな話があります、何物かを売ろうとしたとき、かざらないわけにはいきません、大根一本、にんじん一本を売るにしてもかざらなければ売れないのです。お金を得ようとすることは飾ることだということです。そこで本末転倒しないことです。
「誤り」。
お金を得ることは何と不思議でおかしな話です。だから人間も間違いを起こす人が増えるのです。物でも飾れば売れるのですから、人間も、と考えるのは当たり前といいますか、当然なのかもしれません。
しかしお金を得るにも立身を計るにもただ単に飾ったくらいでは得られませんし入りもしませんし、立身もなりません。このような愚かは気づくべきです。
他人様を見て憧れるのは結構なことですが、ただ単に真似たくらいではどうしようもないことを気づくべきです。大根とにんじんは違って当たり前、しかしいざ人間世界、自分の世界となると、他人様と自分は違うのだと、違って当たり前なのだと分からなくなるのが人間の愚かさかもしれません。
憧れたら、何が自分にとってあの人のように輝けるようになるのかを知ることが肝心なのです。自他という言葉が示すように、自分と他人は違うのです。ですからただ単に自分がそうなれると安易に考えるような人生を送ってしまいますと大きな過ちを犯してしまうのです。
「富貴天にあり」、お金や立身を計る前に「道を学ぶ」ことです。道を学ぶということは「心を学ぶ」ということです。己自身の「できること、徳命」を以て道を歩み、心を専一にすることです。そして磨き高めることです。
そうすることで天はあなたに相応しい富貴をもたらしてくれるのです。できることは徳命、天命だからです。それをしっかりと勤め励めば必ずや天はあなたに富貴を与えるのです。心学を学べば己を脇道にそらすことのない確かにコントロールができる誇り高い自分と出会うからです。
そのような人間を天は放ってはおかず、かならず相応しい天命を与えてくださるのです。今夜は「にんげん学」小倉講座、心学をご一緒しましょう。かざることではなく、磨くことをすることが道に叶う生き方です。
人は人よりも地位やお金を欲しいと思ったときから人生の行いを妨げる道に迷い込むのです。外側の状況で思い悩むことは人へ依存している生き方です。依存はバランスを崩し、中心を失わせ、己を失わせるのです。依存を捨て、現実を受けとめ磨き高めれば、天は相応しいものを与えてくださるのです。
室町期の能芸の巨匠、世阿弥の言葉、私の好きな言葉ですので紹介します。
「舞を舞いやむひま、音曲を謡いやむ所、そのほか、言葉・物まね、あらゆる品々のひまひまに、心を捨てずして、用心を持つ内心なり。この内心の感、外に匂いて面白きなり」(花鏡)といっています。
仕事を終えて閑ができたときの心、内心の感、在り方が外に匂いとなって現れ人生は面白いものだと世阿弥は言っているのです。名人と謳われた世阿弥の不断に修練し口から湧き出た言葉、生き様に感動するのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。