迷い

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。「体は心を表す」とは古来から言われておることですが、この簡単な言葉一つを現実に大事にし、言行を行っているか否かでやはり対人関係の未来が違ってきます。
「にんげん学」を学ぶのも自然に静かに「物事に対する姿勢、表現力を培うため」であります。一日がなければ一年が無いように、大切な一日の積み重ねが大事です。昨日も書いていますが、人に対する前、一人思うときが一番重要です。独りでいるときの思いがその人の人間としての香り、人間性を醸し出すからです。「一人独を慎む」(中庸)。
「迷い」。
私たちが人生を確かなものとするために学んでいるにもかかわらず迷いとしてしまう人を見かけます。それはなぜでしょう?考えられることはやはり、社会的、世間的に認められたい、その存在を知られたいという気持ちがあるからではないでしょうか。
学びは己を確かに律するために学ぶことであることを確かにすべきです。コップに水を入れ続けますとあふれ出すように、知られよう、認められようなどと思わずとも、身近な世界で使命感を持って淡々と無心に勤労すれば自然とあなたの行動と心はあふれだし、人は認めるのです。物事に先後あり(大学)で、他人様を先にすれば自ずと他人様は大切にしてくださるのです。それを己が先で他人様を後にと、物事を逆さまにやるから、認められないのです。
これ見よがしにせずとも周囲は感じとります。言語行動は心を表現しているのです。心は見えないようで実は一番見えています。
知識を知識として現すのは行動、技術を技術として表現するのも同様。認めて欲しい、存在を知られたいという打算は、行動の継続はできないのです。人柄というものは一過性で人柄、人格となるのではなく、継続してこそ周囲の人は人柄として受け入れるのです。
せっかく素晴らしい能力を持ちながら認められる、られないということで出し惜しみをしてしまうような人間性を養ってはなりません。習慣を大いなる習慣とするのか、つまらない悩みを多く作るために惰性を習慣とするのかは日々家から出る前、人の目に曝されないときに出来上がるのが人間性であることを承知することです。
勉強会の後は例の如く「お多幸」さんでの懇親会、昨夜もマスターの素晴らしい裏メニュー、ごちそうさまでした(写真はいさきの煮付け)。お刺身は「すずき、かんぱち、いかの鳴門巻、サザエ、ごまさば」、煮付けは「いさき」、焼き物はマスター手作りで、お酒、塩、昆布で味付けたもに一晩漬けて次の日の朝に陰干したという手の込んだ「あじ、いさき、連子鯛、いか(赤いか)」、そして名物の「おでん」でした。ごちそうさまでした。
今日は神戸で講演をして一泊して明日宇治へ帰ります。「にんげん学」大阪講座へご出席くださいます、Oさんのご依頼、コンビニエンスストアー、Rグループの経営者の皆さんにお話をさせていただく予定です。ご出席の皆さん余り構えずにご出席ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。