集まる

おはようございます。

毎月24日は愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」、今日も皆さんと聖典(お経)を唱和できることがとてもありがたい。聖典を唱和しますとモリモリと力がわいてきます。その安心感のお陰で日々静かに力が発揮できます。
愛宕寺のご本尊様は「火防大将軍地蔵、愛宕大権現」様、大地の神、火除けの神、禍の炎から守ってくださる神。一番下におり、足下に居る方を尊敬しています。なぜでしょう、それは明々白々「全てを載せている」、「全てが依存している」からです。その力を頼んでいるのです。
「集まる」。
人は人の上に立ちたいと望みながら立てない、先に歩みたいと望みながら歩めない、このような考えは競争心、対立心だからです。争いを多くする不毛の考え方。謙下(けんか)・不争の徳を持っていますから、戦わずして勝つ「大将軍地蔵」と名づけられたのです。
大河や海は幾百もの谷川の水をあつめている故に大河となり、海となって存在します。その身を低い所においている故、だから、幾百もの谷川の水を集めることができているのです。いわゆる「集まる」。
この事実、真理を観る者は、在り方、歩み方、人との接し方が「どうあるべきか」を察しわが物として行動するのです。
経営する者、統治する者は何が大切なのでしょう。そう、己の知力、技術を磨き、その上で人間力を豊かにすることです。それを土台として能力者、実力者を集めることです。集めて、そして、その力を生かすことです。それが経営者であるのです。
ところが見かける多くの経営者は真理とは反対のことをやっています。上に在る、のです。自ら上に立っているのです。まったく法則とは逆、真理とは反対のことをやっている故、能力ある者も集まらず、給料を払いながら不平と不満をいうのです。部下に不満を言うくらいなら給料など払わずにおればいいのです。
設備や機械を高いお金で買うことをやったとしても、人に対しては敬意をはらわず、下に見ている、これはいくら口角泡をしても部下は人格を無視されているのですから、動くはずもありません。
指導者となり、経営者となって、人の先頭に立ち立ちたいと考えているのであれば、頭を垂れることを体得することです。人を尊敬し尊重してこそ人はあなたを上にいただいても軽しとするのです。それはバカにするのではなく、率先してあなたを理解すると言うことです。いくら推戴しても重いとは感じないのです。
そのような経営者から仕事の要請、注文をされれば、任せられている、信頼されていると受け止める故に自ずと尊敬をしてしまうのです。
威厳と尊厳さは自然に醸し出されます。意図的に醸し出されるものではなく、普段の在り方からです。今日は是非ご一緒に祈りましょう。祈りは「神頼み」ではありません、真理を敬う最高の「敬礼、畏敬礼」であるのです。物を創るのは自然、その物を人の為に生かし用いるのが人間です。であることを知ったならば、他人様をも生かすことであることを知ることです。そのために祈るのです。
表現を変えれば「謙虚、謙下・不争の徳」の実践。謙虚になれないのは競争心からです。競争して敵を作るより、謙虚にして仲良くした方がお仕事もうまくいくのでは?、分かち合うことも出来ていない、何も出来ていない、得ていない、尊敬されていない人間が争う理由など、どこを探しても何一つないのです。そんな疲れる歩み方は止めるべきです。10時からですご一緒に祈りましょう。今日も皆様にとり素晴らしい一日でありますよう。
昨日彦島のTさんが今日の法要に力がつくようにと、とても美味しいしゃぶしゃぶの牛肉を供養くださいました。Tさんごちそうさまでした、美味しくちょうだいしました。お陰で今日はさらに身心のパワーがあふれています。
写真は寺の近くにありますランドマーク「海峡ゆめタワー」、高さはスカイツリーより少し低い153m(ずいぶん低いですかね?やはり)、でも地元が一番です。下関にお出での節は愛宕寺へのおまいりと、ゆめタワーへどうぞ、お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。