初めるときか、守るときか

おはようございます。

冬は春の準備期間、春は夏の準備期間、夏は秋の、秋は冬のといった具合に自然の摂理は間を置いてくれています。それを「間断なく」というのです。間があって断つことがない、この真実を見て過ごすことが「人の道」。
「始めるときか、守るときか」。
「創業は難し、守成は易し」(貞観政要(じようがんせいよう))にこのような言葉があります。この言葉は「唐の太宗(たいそう)」が、側近に質問したときの故事です。
「帝王の業(わざ)で、創業と守成とどちらが難しいだろうか」と尋ねた。すると、側近の一人、房玄齢(ぼうげんれい)が答えた。
「創業の時は群雄が割拠し、それを打ち破らねばなりません。こうした命がけの困難を突破することから申しますと創業が困難だと思います」
これに対し、魏徴(ぎちよう)という側近は、
「天子が位につくことは天が授(たす)け、人民が与えたものであり、さほど難しいことではありません。
しかしながら、いったん平和になると帝王も気がゆるんで勝手気ままに驕り高ぶり、人民たちが静かで平穏な生活を望んでいるのに、宮殿の工事や土木工事に駆り立てられ、また帝王のぜいたくも一層募ります。
国が衰えて疲弊していくのはこのためであり、従って守成こそ難しいといえます」
太宗はこの意見を受けて、
「玄齢は、私に従って艱難辛苦を耐えて、万死に一生を得て天下を平定した。したがって創業の難しさを言うのである。
魏徴は私とともに、驕り高ぶれば必ず危機存亡の憂き目に遭う。それを心配して守成の難しさを語ったのだ。
今は創業の苦しみはすでに終わった。これからは守成の難しさを心していこうではないか。」
私たちはこの故事から今の日本の現状を知り自身の現状を省みるべきではないでしょうか。「創業は難し、守成は易し」かもしれませんが、満ち足りた生活の中で平穏を維持することも、やはり難しいのです。 たとえば「器に水を満たして、これを平らに持っていてくれとお願いするようなもので、器は物だから傾くことはないけれども、持つ人の手が疲れるか、お腹が減るかすると、決して長い間平らに持っていることはできないのと同じ」です。
目標へ始動するときか、それとも、動かず守るときか。今がどういう「時」なのか、そこを見極める目を持つことが大切です。自分が置かれている状況をしっかりと把握した上で、適切に対処すれば目標達成は遠くないのです。
明日は心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです。祈りは「心のニュートラル(間)」です。確かな間をおいて「間断のない繁栄と安泰」を祈る時です。ご一緒にご自身、社員の皆さん、ご家族の皆さんの安泰をお祈りしましょう。修行中の誠澄と一緒にお経を唱えれば一層のご利益があります。今日も素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。