一つの

おはようございます。

心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりいただきありがとうございます。心をニュートラルにして新たな気持ちでギアチェンジする、月初には欠かせない行事です。それは間断なくする要、このことは「決定」といってもいいでしょう。
ご近所のIさんは土曜日には毎週「銭洗い辯財天様」と「ローソク立て」のお掃除をくださいます。大阪のKさん土曜日から今月もおまいりお手伝いありがとうございます。これからも「己を忘れて他を利する」伝教大師様の精神を大事に信仰にご奉仕に力を尽くしてください。お陰様で無事月例祭を終えることができました。
「一つの決定」。
すべての物事は、「決定」と「注意」が何よりも大切なことです。事を為した人や歴史上に残る出来事から学びますと「決定がなく果たされたことはほとんどない」からです。また決定はしたとしても注意のなさから結果が出ないことも多くあるのです。
決定と注意は「一対」。よく会社などで上司が目標を決定し部下に指示命令を出し事を運んで行きます。しかし事がうまく運ばず目標が達成されない場合があります。このようなときの多くは上司は自分を棚に上げて部下を叱るのが常です。「失敗は全員で」が私の持論です。敗北は全員の敗北です。当事者ばかりの責任ではないのです。
よく「傍目八目(おかめはちもく)」(他人の囲碁をそばで見ていると、対局者より冷静で、八目先まで手が読める意から、第三者のほうが、物事の是非得失を当事者以上に判断できるということ)と言われます。
「何事でも、成し遂げようとするならば、最初から終わりにかけて、どうなるかを見定めておかなければならない」のです。
何千人いる会社でも仕事は数人のチームで行います。目が届かないはずはないのです。「注意を怠った結果が決定したことを果たせなかった」のです。一つの決定を確かにすることを身につけておけば努々注意を怠るような事をしなくなるのです。「心学」は「心こそ、心惑わす心なれ、心にぞ、心、心ゆるすな」を常とし、ゆったりと安心した人生を過ごす学びでもあるのです。
前だけを見て足下を見ず、つまずくような頭でっかちの知識学ではありません。多勢の社員、家族の命が肩に掛かっているのです。「心はコロコロとするから心」なのです。己を戒め自制し、力を矯めてこそパワーとなるのです。今夜は「にんげん学」京都講座、明晩は大阪講座です。各会場でお待ちしております。今日も素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。