帰るところ

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。自身も人様も物事も素樸に先ず素直に見ることの大事、固定観念に陥ったとき破滅が始まる理、改めて実感した昨夜の「老子32章」。崩壊が極まれば創造が始まる、意味深な教えですし、止めようとあがくのも人間です、学びましょう。素朴に見ることが出来なければ、若い人の能力も見誤ってしまいかねない、うぅ〜ん、やらせるばかりではなく、見ることも大事ですね。
「心学」はいいものです、家と同じ安心、やすらいだ気持ちとなります。私は各地を旅して歩きますが、不安を持ったことがありません、寂しさを感じたこともありません(少し無理はしています)。
心学を修めていますと、得手不得手などは考えなくなるのです。目の前の物事に無心に当たることができていくからです。無心にあたるということは仕事や物事を与えて下された方のことを専心に行うということで、それ以上は何も求めません。出来不出来は人様が判定くださる、そこからまたやり直す。
「帰るところが」。
なぜ不安や寂しさをおぼえないのかをじっくりと考えてみました。そうだ「帰る所があるからだ」との思いに至りました。比叡山から下山して誰も来ない寺に一人ぽつんと孤独をかこっていても寂しくなかった、孤独感がなかった、これは「心、魂の帰る所があったから」「為すことが評価や物理的利ではなかった」からです。「信」という家です。
家とは「やどる(宿)」ところです。「やどる」とは「入ること」です。入って住むところが「やどり」でもあるのです。 住むとは「心が澄む」のです。なぜ澄むのでしょう、「安心」するからです。
ですから私の身体と心はどこにいても「帰る所がある」ことを知っており、安心して事にあたれるのです。そのお陰で各地でいろいろな人と溶け込み安心してお付き合いが出来るようになりました。
今夜は「にんげん学」大阪講座、安心できる「魂の宿る」心学を修めましょう。今日も素晴らしい一日でありますよう。
写真は昨夜の「洋食・ぼんじゅーる」さんの美味しいお料理、一品目、広島産「カキのあぶり焼き(からしマヨネーズ)」、二品目「パストラミビーフと水菜のサラダ」、三品目、広島産「カキフライと北海のホタテ貝柱フライ」、四品目「赤身(イチボ)のステーキわさびおろし添え」です。マスター毎月腕をふるっていただきありがとうございます。来月もよろしくお願い致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。