思いすぎない

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございます。「自由で柔軟なもの」、本来の心はそうなのです。しかしいつしか、自分の心で自分を縛ってしまっている。知識を得ることは自分を高めることなのですが、そうではなく自分を認めて貰うための「具」にしてしまい、自由を失ってしまう。
人に誉められたり、認められれば素直に嬉しいことですし、又これはやはり素直に喜ぶべきです。
しかし、誉められることや、認められることを欲しがったときからせっかくの柔軟性を自ら壊してしまうことになるのは事実です。このことを自覚して自身を高めていきたいものです。
「思いすぎない」。
自分は「これで、社会に貢献するのだ」と決定することはとても大切です。しかし余り頑(かたく)なに思わないことが逆に「能力を発揮できる」のです。頑なになりますと「柔軟性を失う」からです。そして「視野狭窄に陥る」のです。そうしますと、外の刺激、外界の動きを察知できず、発想となる刺激を自ら放棄することになるのです。
ではどうするかということです。それはやはり「思ったことを大事にして、思いすぎない」こと。そう在ることで「柔軟性を失わない」のです。社会の動きや、人様の動向は如何ともし難い、どうすることもできません。であることを知ったならば、どうしようもないことを「気にしない、とらわれない」ことです。
気にせずに、「素直に従う」ことです。これを「柔軟性」というのです。私は私であり、人様にはなれません、このことは百も證知のはずです。であるならば、「何をやったとしても自らを失わなければ、私である」のです。
このような生き方を「柔軟な生き方」というのです。柔軟に歩んでいますと「気持ちよくなる」のです。「開放感に満たされる」のです。注意されたら「気づきととらえ」、止められたら「歩めるようになるまで待つ」、柔軟で自由な生き方というのは「水の流れでいえば、川の水が地形に沿って、自由自在に流れるようなもの」です。
これを「臨機応変の対応」というのです。自分を持ち、自分を忘れ歩めば臨機応変に対応が出来るのです。そして持っている知識や技術を遺憾なく発揮できる。所が自分を持ったままで対応しようと思いますと、ぶつかり、争いが生じ、そこでストップしてしまうこととなるのです。ストップするくらいなら許せますが、破滅する場合も時としてはありますので、やはり頑なにる事はよろしくありません。
柔軟に歩めば、ゆったりとした気持ちで目標に向かえるのです。今日も我を出さずに己を見失わずに楽しく気持ちよく歩みましょう。今日も素晴らしい一日でありますようお祈りします。
写真は自宅に鉢植えしている「ハイビスカス」、17年ほど前和歌山県白浜に行ったときわずか10センチほどの苗を買い求め、翌年程から咲き始め毎年今の時期くらいから4ヶ月程次々と咲いて楽しませてくれます。自然のパワーは凄いですね。どこででも咲いてみせます、見習わなくては。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。