身、口、意

おはようございます。

今日は京都版「ぶら和尚」第二段、比叡山延暦寺、無動寺谷「明王堂」に総勢22名でおまいりします。無動寺は私が修行した所です。「比叡山三大地獄」の一つ「行地獄」といわれる無動寺。その無動寺でまる10年修行。
なぜ比叡山無動寺を選んだのかと申しますと、千日回峯行者、光永圓道大行満大阿闍梨が行じています「十万枚護摩供」をお参りするためです。この荒行は「大行満大阿闍梨」だけに許されています。断食、断水で十万本の護摩を一週間で「焚き上げる」筆舌に尽くせない行です。
皆様と一緒にお参りをし、そのご利益に与るということです。10年に一度あるかないかの行、ありがたいことです。
「身、口、意」。
私たちが日々お唱えする経文の最初に唱えるのが「懺悔文(さんげもん)」。過去に犯した過ち、罪を懺悔します。意識しておらずとも相手を傷つけたり、心の中で批判したりと、様々な罪を犯しているという意識からです。
縁があってもその縁とならない、続かない、途中で無くなってしまう等々は「身、口、意」の三つ、三業(さんごう)によって犯した結果だ、と自覚反省するのです。
また、人様の親切を逆恨みしたり、助言をいただきながら行動としなかったりと、すべて身、口、意(心)で行っているのです。意識するとしないとにかかわらず犯しているのだという懺悔、いわゆる心の畑に今日新たに出会うであろう縁という種を確かに根付かせるためでもあるのです。
懺悔し心の畑を耕し清浄に、きれいにして出会うということを行うためです。
前日までの吉凶共の経験や体験で、新たな出会いをする人に不信感や批判的にならずに、また過剰な、勝手な期待感を持たず無心なる慈悲の気持ちで出会うようにするためでもあるのです。それでなければ人様のお役に立てるはずもなく、要望にも応えられません。
現実の結果は「○か×」です。「△」はありません。曖昧な結果などは一つもなく、○か×の極です。だからこそ心を「一新しなければなりません」。新たな一日をスタートするのに、心の畑を一新しなければ素晴らしい縁(種)と出会ったとしても育つはずもないからです。
今日は改めて修業時代を思いだし護摩の炎に懺悔し、ご一緒におまいりできなかった皆様方に成り代わり、新たな気持ちで皆様の心願成就を祈って参ります、どうぞご安心ください。
誠澄の「懺悔練行」も同じであって、日々の懺悔行を通じ皆様の安泰をお祈りさせていただいているのです。
写真はご近所の信者Kさんの手作り「里芋」、土つきで保存しておきますと美味しさを保てるのがうれしいですね、お陰様でお寺は日本全国の皆さんから季節毎にお供えをちょうだい致します仏様のお陰です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。