人の道は譲ること

おはようございます。

「心華みのり大祭・採燈大護摩法要」おまいりありがとうございます。天候不順の中沢山のおまいりをいただき感謝致します。不思議でしたね、朝まで降っていた雨が法要前には上がり、法要後にまた雨、御仏はやはり大いなる力をくださいます。皆さんの篤い信心に目の当たりに加護をくだされたありがたい法要でした。
お手伝いも多勢の皆様にいただきありがとうございます。ありがたいことです、何事も一人の力ではどうしようもありません、合力があってこそ、不特定の方々にご奉仕する功徳は計りしれません、もちろんご奉仕くださる皆さんは見返りなど求めているはずもありません、ただただ奉仕するという姿に感動します。
伝教大師様が示されました「己を忘れて他を利する」という道をひたすら歩んでおられる姿、改めてお礼申し上げます。これからもよろしくお願い致します。
今日は愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。午前10時、是非おまいりください。
「人の道は譲ること」。
私たちは生きたいように生きれば必ず何かとぶつかります。それは道理ではなく、我利で歩むからです。目標に真っ直ぐに歩んで行きたいと考えるのは当然のことです。しかし山の頂上を真っ直ぐに目指すことは至難の業で、それは道理ではありません。いくら我を張って真っ直ぐに登るといって道なき道を無闇に登っては疲れ果てるか、挫折をしてしまうしかありません。
祈るとは教えを乞うということであり、我意を捨て「譲る」ことです。上にも書きましたようにいくら情熱を熱くし歩んでも、何事にも法則、道理というものがあるのです。
海は広くどこでも船を進めていけるように思われますが、ところがどっこい、「船道」というものがある、そこを通らない限り座礁したり、転覆したり、難破したりしてしまうのです。どこを通ってもよいというものではないのです。
道路も同じ事で進みたいように進んでしまったのではたちまち衝突してしまうのです。一番譲らなければならないのは「言語」です。言いたいことを言い、しゃべりたいことをしゃべったのでは「衝突、争い」しかないのです。
確かな目標を持てばこそ「譲ること」で目標に早く達することが可能となるのです。「急がば回れ」とも、祈りはまさにその謙譲を身につける一つ、実践でもあるのです。仏の世界は「慈悲の道を歩むこと」だからです。午前10時からです。おまいりください、お待ちしております。
写真は昨日の採燈大護摩法要の模様。最初は昨日の法要は何の為に祈るのかという「願文」を表明しているところ、点火後煙が竜神と成り立ちのぼり天の扉を開けるために昇っていく様子。皆様へのお加持の模様。東京の「にんげん学」講座にご出席のIさんがお嬢さんとご一緒におまいりくださいました。遠路ありがとうございます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。