自然は必然

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりありがとうございます。寒い中、また連休の中でお参りを優先いただいたことに、必ずやご本尊様はお応え下さいます。皆様に多くのお加護がありますことをお祈り致します。
また早くから遅くまで用意、後片付けとお手伝いくださいました皆様感謝いたします。これからもよろしくお願い致します。
「自然は必然」。
私たちが「自然」を象徴していいますと「天」と表現する場合があります。天は「人を造りました」。そして「人を通じて心の世界を開いた」のです。人間はほかの動物と違って、この「心」というものを「恵まれておる」のです。これがまた「自然の妙用」と考えるべきです。
その「心によって惑い」、いろいろの紆余曲折しているうちに、次第に「心の真実・心の誠・心の真理を会得して」、次第に昇華していくのです。昇華しなければ天意に背くといってもいいでしょう。
天は自然です。「自ら然(しか)る」のです。自分はなんで人間なんかに生まれたのか、なんでもっと無心な鳥とか、獣に生まれなかったのか、などと考えても、それは人間の妄想であって意味がありません。と同じように、自分は何でこんな貧乏な家に生まれたんだろうか、どうして出世できないのだろうかとか、どうしてこんな会社に入ったのだろうか・・・というようなことを、考えることは自由ですが、そういうことは妄想であり、意味が無いのです。
かく在るということ、かく生まれるということは、これは自ずから然るのであって、そこにこそ「天命」と自覚せねばならないのです。
これは天の作用、絶対の作用、自然なのです。自然は必然なのです。必然であるということは、そこに法則があるのです。法則があるということで、それは人間の理性からいうならば、当然なのです。
自然は必然です。必然は人間において当然なのです。それを人間の思慮が開けないと、偶然と思うだけです。けれどもいかに偶然だらけに思われても、真理を学びますと、偶然が偶然でないことを知るのです。即ち当然であることを知るのです。当然であるということを知るということは必然を知ることです。必然を「命」というのです。
命は「造化の自然」です。「命の自覚がなければ」授かった「能力の開花はない」ことを知るべきです。命の自覚の無い人は情欲で人生をウロウロと生きてしまうこととなるのです。命を自覚すれば、自ずから造化し、大いなる能力を発揮できる事となるのです。
今日お昼から弟子・誠澄は「断食・断水・不眠・不臥」七日間の行に入ります。これも「命に従う姿」です。ですから「多くの人に必然として諸病退散、心身健康のご利益を与えられる」のです。
12月2日までの七日間誠澄は当に自然、天、神と同体となった修行を行うのです、どうぞご祈願ください。12月2日は満行の「お加持」を皆様に致します。さらにお参りの上「大根焚き」を食せば、内外共の健康が得られます。
明晩は「にんげん学」小倉講座。皆様にお会いできることを楽しみにしております。
写真は愛媛県八幡浜市のOさんから「心華みのり大祭」に合わせ、感謝の奉納いただきました「初つみのミカン」です。Oさんの一生園ミカンは日本一、ほっぺが落ちますよ?、是非パソコンで検索してご賞味下さい。お正月は笑顔いっぱいとなること受け合いです。心華寺の紹介だと言っても割引はありませんので悪しからず。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。