信は義の本

おはようございます。

昨日昼から誠澄は一週間の「断食・断水・不眠・不臥」に入行、12年続けています。私の弟子でありながら身内褒めはよくありませんが、これは凄いことです。経験のない皆さんには想像できないかも知れませんが、飲まず食わず、寝ず、横にならず、本能、欲望の制御。人生の成功不成功はいかに己をコントロールするか否かでもあります。今日のテーマ「信義」の実践、頭がさがります。
皆さんも参籠し修行してみてはいかがでしょう。ピンと張り詰めた雰囲気の中で自分と対峙する一時、私は明日午後から心華寺に帰りますのでお訪ね下さい。心華寺は今、行中の誠澄一人です、お時間の許す方は手伝いに行ってください。
「信は義の本」何事にも、すべて信がなければいけません。善悪とか成功失敗は、要するに、この信があるかないかによって決まるのです。家であれ、友だち同士であれ、会社であれ、互いに信があったならば、何事でも必ず成就しないことはないのです。信がなければ、万事失敗しかないのです。
「信は義の本」。
信は「自身の在り方、生き様」。故に何事の道理、知識を得たとしても、信がなければ活かすこともできず、夢と志は欲であって夢でなく、志でもないのです。故に事の実現はありません。それは最初から信がないからです。信がないことは自らの言行を信じておらず、道理を「義」として実践していないということです。
「義は利の本」。道理、原理はすべて人様に生かしてこそ道理であり、原理であるのです。論語、里仁篇に「君子は義に喩り、小人は利に喩る」とあり。昨今の混迷の端はすべて孔子の言が示しており、小人ばかり目がつきます。
義に生きれば足るほどの利は与わるものです。「小欲知足」、足るを知る人生ほど豊かに安心で夢と志に向かって悠々と歩めるものはないのです。義を思わず、利に走る生き様をする故に物心両面にわたり大損をするのは当然の理なのです。利に生きれば己を傷つけ、人様をも傷つけ、怨み多い人生を作り、そこからは何の希望も生まれないのです。
学んだ道理を先ず信じ、義を喩り人生を楽しく歩んでまいりましょう。恐れのない人生ほど楽しいものはないのです。私心私欲で理を用いるのは「不満がある」からであり、そのような気持ちからは義は生まれず、信も立たないのです。
私心私欲で歩む故に人生の夢の実現を妨げていることに気づくべきです。「私心は不信の本」であり、私心があると「和することができません」。和することができなければ「事の成就はない」のです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、冷たい雨が降っています防寒を確かにしてご出席ください。会場でお待ちしております。仁愛の学び、信の学び、教えは「歩む道を示しています」。いくら知識を得たとしても「道に沿わなければ東京にすら行けません」。
新しい週、そして11月の最終週といってもいいでしょう。今週も皆さんにとり素晴らしい一週間となりますよう、そして今日一日充実し楽しい一日となりますようお祈り致します。
写真は寺の近くのランドマーク「海峡夢タワー」のライトアップ。寒いからこそ灯りが温かく感じる、不思議ですね、この気持ち。寂しいと人の情愛を感じるのですから。常の感謝が大事ですね。我欲に犯されないようにしなければと寒い風の中でシャッターをきりながら考えていました、手ぶれは寒さのせいではなく、下手だからです、悪しからず。下の一枚はお月様が雲の間から顔を覗かせていましたので思わず、パチリ、です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。