自分で

おはようございます。

私が弟子入りをして師匠に最初にいただいたお言葉は「気張れ(がんばれという意味)」。ハイとは応えたものの正直何を頑張ればいいのか理解できませんでした。いわゆる師匠のおっしゃる「気張れの意味、中身」がわからなかったのです。
昨日も目標の大切さ、青雲の志を書きました。師匠から言われた言葉の意味内容は察することができませんでしたので、私自身で「気張る日課を作り」気張ることにしました。新人の皆さんも何か一つ日々心がける日課を持つことを進めます。
「自分で決めたこと」。
決めたことの一つ「聞く耳を持つ」ということ。そして気張ることは「人よりも早く起きる」「便所掃除をする」この二つを気張ってやろうと自身に課しました。もちろん師匠の指示や兄弟子の指示を確かにすることは言うまでもありません。自分自身が気張ることで高める、磨くことを決めたのです。
このことは師匠や兄弟子の評価をいただくためではなく、自分が決めたことを自分がやり通す自分を作るためです。私は私で在るために比叡山というお山を選択し、師を選択しました(不遜な書き方ですが)。やらされる、という意識ではなく、選んだ中で自主性を持ってやることが「周囲の人の言葉を聞く」「早起きをする(決められた時間ではなく、自分で決めた時間)」「便所掃除をする(決められた、与えられたからではなく)」、天命、天職だと考えたのです。
やらされている、命令されていると考えてやるのでは面白くないでしょう人生、自分で率先しても辛いことはありますし、嫌なこともあるのですから、わざわざ最初から嫌がってやったのでは楽しい人生などあり得るはずはないのだと思ったのです。今となってやはり正解だったと実感しています。
若い頃に読みました帝王学と言われる「貞観政要(じようがんせいよう)」に、(貞観の治と言われ、中国では、理想的な統治が行われていた時代の一つとして、後代の模範とされた時代が唐の貞観時代の政治、時の皇帝、太宗と大臣達の対話語録)。
太宗が大臣に質問しました「世の中には明君・暗君がおり、現在も明リーダーと暗リーダーがいる。その差はどこからくるのか。」という質問です。
大臣が応えました「君の明らかなる所以(ゆえん)の者は兼聴(けんちよう)すればなり。その暗き所以の者は偏信(へんしん)すればなり」と答えたのです。
兼聴は「多くの人の率直な意見に耳を傾け、その中から、これはと思う意見を採用すること」。偏信は「一人のいうことだけを信用すること」。いわば諸情報、それに基づく諸判断を耳にするか、一方向だけの情報と、それと共に提供される判断だけを信ずるか、その違いだけであるというのです。この二つが明君・暗君を分けるものであるというのです。
この書を読み若い頃から今日まで多くの人の言葉を聞き入れ、己が判断をする心構えとしています。いずれにしましても新人の皆さん目の前の事が天命、天職と考えてやるべきです。今日も皆様の一日が素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は桜の中で整列をする研修生のみなさん、そして270名の食事風景、満開の桜が観音様の光背に見えます。