打てば

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」雨の中おまいりいただきありがとうございます。嬉しいですね、雨が降っていてもものともせずに足を運んでくださる、その御心にご神仏はお加護をくださることでありましょう。何よりも悪天候の中でも足を運んでくださる方の心中はお守りくださるという信がありますので外物に惑わされません。ありがとうございます。御仏のお力、皆様の信力を実感する嬉しい一日でした。
「打てば」。
打てば響くような人間になりたいと思いつつもなかなかそうはなれないものです。ですから打てば響くような人に憧れを持っています。私は三拍も四拍否五拍もおいてから響くような人間、しかし響くように在りたいと願っています。
私は教え、お手本、憧れを持つことはとても大切なことだと思っています、それがなければ才能が開かないとも考えています。教え、お手本、憧れに導かれたといっていいでしょう。憧れる、賛同することは「自分も行動すること」であると考えています。でなければ口先だけの人間に堕するのではないかと考えており、それ以上に同意すれば己も出来ていると錯覚し、自惚れることが恐いのです。お陰様で自分の在り方を持つことで自分を見失うことなく歩めてきたのではとも感謝しています。
打てば響くような人間でない故に基本に忠実で在りたいと願っています。願ってどのように在ればいいのかと思ったときこのような言葉にであいました。「守破離(しゅはり)」という言葉です。修行し自己完成を目指す者の過程を表す教えです。
「守」とは、師に教えられたことを正しく守りつつ修行し、それをしっかりと 身につけることをいいます。「破」とは、師に教えられしっかり身につけたことを自らの特性に合うように修行し、自らの境地を見つけることをいいます。「離」とは、それらの段階を通過し、何物にもとらわれない境地をいいます。
教えを基として個性とするにはやはり守、基本に忠実となることが大切ではないでしょうか。日々修練を積みますと自然破を生じ、個性としての離が自然と醸し出されると考えています。
守破離という教えに忠実にならずとも私たちは元々裸で生まれたわけですから、あるとき、ああ「こんなふうになれたらいいな〜」と思って行動したとしても、日々基本に忠実でなければ、「忠実でない破、離となり」、自分では忠実だと思ったとしても、輝く個性とはならず、周囲の人にインパクトも影響力も感じさせない、物知りに終わることに注意しなければなりません。
守、破・離という階段を一歩一歩昇るために、段階の大切さを知り、日々意識して基本に取り組むことが大事です。どこで破り、どこで離れるかはわかり得ないからです。だからこそ基本に忠実となり日々修練すべきです。知って終わりではお話になりません。
基本が何故大事なのかともうしますと、頭の中で思考することは一人で行いますから、直ぐに実現できると思えるものです。しかし社会生活は周りにいろいろな人の存在が在り、教えに真っ直ぐにあろうとしても惑わされたり、気が散ったり、対抗心が出たりと基本を忘れ勢い上を目指す自分が無意識に出て、破も離もそれ以上に守、守る基本を失う危険性があるのです。日々怠らず基本を行いましょう。その一つがご先祖様への朝の感謝のお勤めです、それは人としての基本でもあるからです。感謝という基本行動が無ければ基本にならないのです。
何事の修練も己を高めることであるということをお忘れなく、でなければ周囲に惑わされる人生としかなりません。自己を高めるという意識が無ければ虚しい努力をしているに過ぎないのです。
明晩は「にんげん学」小倉講座、九州地区の皆さんお会いできることを楽しみにしています。「心学」は大事ですよ皆さん、上にも書きましたが「知識は結果に於いて真っ直ぐですが、人間関係でその成否が大きくかかわるからです」。価値観の多様の中で誠意を尽くせる自分を確かにしなければあなたの才能を生かすことは叶いません。いつかは打てば響く人間になりたいものだと基本を大事にしようと思っています。今日も素晴らしい一日となりますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は昨日Mさんの差し入れ「猪鍋」です。美味しい貝を撮るのを忘れてしまいました。ごめんなさい。