薫風

おはようございます。

精神的進化のない者は愚かであるという人がおります。私のことをいっているのではないかと思うときがあります。反対に愚かで良かったと思うときもあるのです。言葉を換えれば何時までも子供だということです。だからこそいつまでも夢を追いかけることが出来ているとも思っています(言い訳かも知れない)。矛盾であり、私自身の心の葛藤でもあります。大人げないと反省もし、しかし余りにも分別くさい大人にもなりたくないのです。もう立派な爺ではあるのですが?。
「薫風」。
「くんぷう」と読みます好きな言葉、初夏に吹くこれからの風のことです。春風という言葉も好きです。春風や薫風のような人間になりたいと何十年も思い続けています。春風や薫風が無ければ花が咲かず、冬の厳しい中に咲く梅の花は春風を受けてこそ咲くことができるのです。梅の花を見て厳しさを乗り越えようと心新たにし影響を受ける人もいます。又そのような人を見て力を得る人もあります。
どんな厳しい寒さがあったとしても必ずその中に花を咲かせる暖かい風がある、そんな春風のような人間になりたいと思っています。
しかし多くはその逆で自分には寛容で人には厳しくなってしまっている自分が嫌になるときがあり、修行は一生のものだなと自分自身で恥じ情けなく思う時がしばしばです。
春風接人、秋霜自粛(言志四録。佐藤一齊)。意は「春風のような優しさで人に接し、秋の霜のごとく厳しく自らの行動をただすこと」。身近な人が私に触れることで素晴らしい才能が芽吹いてくれるような私で在りたいと願っています。そして己に厳しくありたいと思わずにはおられません。
精神的進化、成長がないのはすべからく人に優しく接することなく、己を厳しく戒めることをしていないことが原因でありましょう。意識せずとも言葉に出さずとも、梅の花を見て人が影響を受けるような良い影響を与えられる己れを作る生涯でありたいと思っています。
今夜は「にんげん学」小倉講座、自身が存在しているだけで春風のような、薫風のように感じられる人間であるためにもご一緒に「心学」を学びましょう。会場でお待ちしております。今日も皆様の一日が幸い多い一日となりますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は寺のある町名の埠頭の掲示板と珍しいバス停名。寺の中にいるときは寒く感じたのでそのままで散歩に百㍍も歩かないうち汗、家の中と外との温度差にびっくり、皆さん体調管理にご用心を。そしてSさんが長年お使いになった経本、凄いですね修理を何度もしてこれこそお経に読まれているのではなく、お経を読んでいる見習うべきです。Sさんを尊敬してしまいます。