不易

おはようございます。

この世は変わらないものがあって変わっていくという真実があります。この道理に沿わなければ何事の発展もなく求めるものも手に入らないのです。いわゆる生々の繰り返しがなければ滅び去るのです。
私は紀元前から続いている「仏道」という道を歩んでいます。古い教えだから発展がないかといえば、紀元前の人達と同じような生活をしているわけではなく、江戸時代のような暮らしをしているわけでもありません。楽しく現代を生きています。
不易(ふえき)な道を楽しく歩んでいます。継続したい、己の者としたいという道を歩んでいるからこそ進化発展があり、変わらない道を歩んできたからこそ「世間様に少し成りともお役に立てて、新たな喜びを得、新たな気概となり、共に歩む人も出来、それなりに充実感も得ています」。
「不易」。
何か新しいものができないか、発想がでないかということをよく耳にします。新たな発想やアイデアを生んでいる人を拝見しますと「長年社会に必要とされてきた、継続されてきたことによって己を磨き高め続けている人」が新たな発想や展開が出来ているようです。
今日社会でリードしている企業や人を見ましても、そのベースは「不易の道」を歩んでいることが見えてきます。
不易の道を歩み己を高めようとしている人は総じて「この道でお役に立ちたいという思想、信念がある」のです。ですから「人を見て、人に役立とうという意識が常にある」のです。人を見る目がある、観察眼があるともいえます。そこに見えてくる行動意識、思想がやはり「仁道」に在るのです。いわゆる人への思いやりの心です。
孔子論語、里仁第4、14条に「子曰く、位無(くらいな)きを患(うれ)へずして、立つ所以(ゆえん)を患(うれ)う。己(おのれ)を知る莫(な)きを患(うれ)へずして、知らる可(べ)きを為(な)さんことを求む。」。
意は「孔子言う、人は自分に地位のないことを気にとめる必要はない。いかにしたならば、その地位に立つに足る実力を養うことが出来るかという点に心を用うべきである。又世の人が自分の価値を知ってくれぬことを心にかける必要はない。いかにしたならば、人から知られるだけの資質を得られるかという点に心を用うべきである。」。
位や名前を知られることに関心を持つことは悪いことではありませんが、「地位を与える、与えない、知ってくれる知ってくれないは、人にあり、己自身が気に病むことではないと孔子は教えるのです」。
そのようなことで気に病むのではなく、己の内に在るものを求め磨き高めよと教え、何を為さねばならないのかの根本に務めよと強く教えるのです。学而第1、16条に「子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず。人を知らざるを患(うれ)う。」とも教えています。
意は「孔子言う、他人が自分の価値実力を知ってくれないことを気にかける必要はない。ただ自分が人の価値実力を認めることの出来ないのを心にかけて注意すべきである。」。とも教えています。
毀誉褒貶(きよほうへん)に己を悩ます暇があったならば、先ず己を修める必要があるぞというのです。今日まで続いてきた「不易の道」をベースに磨き高め修めれば必然的に人様の必要とするものが見え、自然にヒットできる「ヒラメキ」が湧くのです。
物の本や、童話や絵本も随分昔からあったと思われます。先日見たレオ・レオニの絵本を見て思わず涙が出るくらい感動しました。レオ・レオニも誰かの絵を見て感動したに違いありません、だからこそ多くの人が感動するのではないでしょうか。人生は感動の連続です、それは不易の道が受け継がれてきたことの大きな証明ではないでしょうか。嬉しいですね。
しっかりと連休最後の日に己の生涯とする「不易の道の何たるかを確立ください」。今日は「海の日」母なる海から私たちは生まれてきました、だからこそ、そこに回帰したくなるのかもしれません。明日は「京都版・ぶら和尚」、東寺と京都水族館を巡る、ぶら和尚です。今日も素晴らしいことがありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
柿の実も石榴の実も生長してます。


昨夕、風の音が急にしたと思って外を見たら。