気持ちの一端

おはようございます。

数日ブログ上でアイデアを求めますと書いています。そのことで私が考えている一端を書きます。参考にしていただきご参加いただければ幸いです。
就学支援・就業支援・人生支援「株式会社・ダイバーシティ」、NPO「こころのはな」は「国の宝を養成する塾」ですいわゆる江戸時代にあった「私塾」をイメージください。私が共鳴し、人生の目標とし「自分を生きる」ことに目覚めた言葉であり精神の支柱を下に書きます。
「国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国の宝と為す。故に古人言わく、経寸10枚(宝石)あるもこれ国の宝にあらず、一隅を照らすこそ国の宝なれ、と。古哲また云わく、能く言いて行うこと能わざるは国の師なり、能く行うて言うこと能わざるは国の用なり、能く行い能く言うは国の宝なり。三品の内、言うこと能わず行うこと能わざるを国の賊と為す。乃ち道心ある仏子、西には菩薩と称し東には君子と号す。悪事を己れに向け好事を他に与え、己れを忘れて他を利するはこれ慈悲の極みなり。」(伝教大師作)
上記が塾の精神です。道心とは「一隅を照らす・ポストにベストを尽くす精神の涵養と実践」です。お互いがお互いのために為す喜びに目覚める「人と為る、人財と成る」ための塾です。また自分が何かを発想できずとも、サポートする、支えることで使命とする、そこで己の命を立てる(人生のステージとする)、立命することで自己確立を図ることを願うものです。
落ちこぼれであった私が「一隅を照らす・ポストにベストを尽くす」人生を歩み、「心華寺という舞台を得」、多くの人に生かされました。そして「寺という概念を離れ」一段階段を上り、更に多くの方に勇気と希望を与えられる空間を作りたいと願っています。
私は以前「学習塾」を経営したことがあります。それは知人の親御さんからの要請でした。どのような要請かと申しますと、「子どもが勉強について行けない、何とかならないか」という話し、では大学生のお力を借りて、そのようなお子さん達に勉強を教えましょうということで始めたのです。
ところがところがです。いざ蓋を開けて塾を始めましたら、塾生は集まらず、約10年ほどで店じまいとなりました。何が悪かったのかと分析しました。それは「コンセプトのまずさ」「社会に対してのアプローチのまずさ」です。私と二人で話すときはどの親御さんも素直に現状をお話しくださいますが、公となりますと又違うモノということにきづかなかった、いわゆる本音と建て前に気づけなかった。
世間で繁盛している塾は「○○有名中学、高校、大学合格を目指す進学塾。何名合格」と謳っています。私の所といえば、しっかりと実力を身につけさせます。勉強を出来るようにします。落ちこぼれを無くします等々。普通に考えれば分かることなのですが、どの親御さんでも「自分の子どもが出来の悪い子だ」などと公然と言うはずもなく、認めるはずもないのです。ですから塾生はサッパリ、あっという間につぶれてしまいました。
それから先日立ち上げた会社、NPOの設立を考えたのです。全国のお子様を持つご両親の皆様、私は現在、心華寺において年間一万人の企業研修を実施しております。
何故このようになったかは歴然としています。「自己認知」「現状認知」をして夢の実現を図ったからです。自分の現実を直視して「学んだ」からです。孟母三遷という言葉もあります。母親の影響、両親の影響はお子様への最も大なる影響力があります。どのような人生をお子様の将来としたいのかをしっかりと直視し、サポートください。寮もあります。通学も可能です。昔の下宿屋さんのような家庭的でありながら、規律正しい生活を致します。
そして最も大切なことでありますが、人間として志の高い理想の高い先生を募集しています。是非ご応募ください、経験、年令、もちろん性別は問いません。まだまだ書き尽くせませんが、私自身子どもの頃から18年間苦しみ、そして社会に出てから共に暮らしてきた青少年を如何にすれば素晴らしい夢を持ってもらえるのだろうかという試行錯誤の連続であります。皆様と共に運営し、実践する空間を作りたいと願っています。どうぞご理解の上、国の宝作りをご一緒ください。
塾の精神(塾訓・理念・塾是)
教育理念
「個性を持った自立的な人間の創造」
 個性尊重、人格の陶冶、勤労の実践、利他による実働の実践
教育目標
  多様性を受け入れる豊かな感性と人間性を培う
生涯学び続けるための自力学習の基礎をかためる
国際舞台でリーダーシップを発揮できる能力を涵養する
塾・こころのはな教養カリキュラム
 文理の枠を越えた幅広い教養と確かな知識と技術の修得を目指す、「己れを忘れて他を利する、利他精神」をベースに知識と技術、行動力の涵養を生涯のものとするために以下の科目を行う。
社会で求められる水準の教養を身につけるため、「人間としての」幅広い分野の知識を修得する。これにより、多角的な視点と柔軟な思考力を身につける。
社会人として必要な他者を理解する力、自己表現力などコミュニケーションスキルを身につけるため、ゼミ形式の双方向対話型の授業を1年間の必修とする。
塾生の中から要望が出た場合それに対応する授業を行うように塾生からの要望を柔軟に対応する授業を行う。
上記を実現させるのためのカリキュラムの一つ古典素読
喜怒哀楽(きどあいらく)、情緒(じようちよ)は本能(心)であり、能力です。本能であるということは喜怒哀楽が人間の「ベース(心)」です。喜怒哀楽、心の起伏が人生の行く末をを大きく左右します。
喜怒哀楽・情緒は外からの刺激(縁)により大きく影響を受けます。影響を受けて本能に響いたものに惹かれ傾いていくのです。そこでこの本能が真に自分のため、人のため、社会のためにならなければ、迷い傷つき、傷つける人生をあゆむ現実を引き寄せてしまうのです。
近年、渋沢栄一翁(しぶさわえいいちおう)が唱えました「論語と算盤」が注目されています。徳(本能の素晴らしさ)に目覚めれば経済の安定が成り、自分も家族(会社)も安泰するのです。心身のバランス、安定があってこそ安泰であるのです。
何に目覚めるのか「先憂後楽(せんゆうこうらく)」です。社会的怒りには大いに怒り、その怒りを解消する向学心を持つ、社会的哀しみには大いに哀しみ、その哀しみを解決するために向学心を燃え上がらせ、そして怒りを解消する、哀しみを解消する、その方策を提供し大勢の皆様に喜んでいただく、楽しんでいただき、それを見て喜び楽しむリーダー学が「先憂後楽の学」です。
人は個人の世界の悩みを、人も同じように苦しんでいるのだと捉えてこそ人間性を豊かに大きくするのです。自分だけだと思い悩んだときから蟻地獄(ありじごく)の苦しみ、抜け道のない迷路に入ります。
人の怒りは私の怒り、人の哀しみは私の哀しみと受け止める方が一人でも多い社会と為すため、自身が目覚め、多くの人が目覚めるカリキュラムの一つが「古典素読(こてんそどく)」です。
今日の勉強は内側、心の勉強を忘れていました。わかるだろう、できるだろうという勉強という形態の完成で見失い、退化してしまっているのです。そしてそれを見て見ぬ振りをしている「大人の教えざる罪」を私は大いに反省し、不徳の致すところであるとしています。
「心の在ることを知りながら心を学ばず」故に外に惑わされ、心の磁石がフラフラとして、人を愛する情熱という本来の能力を発揮できず、怒り、倦怠、引きこもり、拒否するという喜びのない本能にしか反応しなくなってしまったのです。本来の私、自由を取り戻すカリキュラムを思考しています。
●人生・マネジメントの書「論語素読
●人生・処世マネジメントの書「小学素読
●人生・必勝のマネジメント「貞観政要(じようがんせいよう)素読孫子(そんし)素読
まだまだ未完成でまとまりがありませんが、上記を一つの糸口としてアイデアをお出しいただければ幸いです。お待ちしております。今日も夢の実現に向けて元気に邁進しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
宇治川の中州に毎日白鷺が必ず数羽が集まっています。朝の会議かもしれません。

今朝の東の空。