おはようございます。

「日本一の会・富士登山」ご参加の皆さん登頂おめでとうございます。皆さんのご精進でしょう、素晴らしいご来光を拝み感動に浸ったのではないでしょうか。お天道様とは良く言ったもの、名づけたものだと実感されたのでは、辛かったことも一瞬の中に消え去った不思議も体感できたのではないでしょうか。
登るのも大変だったでしょうが、下山も苦労されませんでしたか、どうような思いが心の中を去来したかどうぞブログにコメントください。
そして下山後の温泉の心地よさ、これまでに体感したことのない気持ちよさだったのではないでしょうか。ながい、なが〜い苦労があったればこその開放感と充実感、体感されたことを大切に忘れずこれからの人生に活かしてください。
「にんげん学」神戸講座ご出席の皆さんありがとうございます。第2回も沢山の方々にご出席いただき嬉しく思います。是非お続け下さい。人生も目標を作り昇っていくわけですから登山にも例えられます。登っているつもりが下っているという現実に遭遇する時もあります。そんなときに必要となるのが「心学」の教えです。
先日の選挙での民主党の零落、前の選挙では自民党が同様に惨敗。この結果からいろいろなことが読み取れますが、一番に「日常生活の意識が大事」ということです。
「政(まつりごと)」。
私たちは何か買い物をしようと思えば、安くて良いものをと考えます。お店の利益を考えて店を選ぶのではありません。自分の懐具合や必要性を考えてのことです。このことを知って品物を提供するのがお店、経営者です。
経営者の苦労や努力などは微塵も考えていない(考えている方もあるでしょうが)のが私たちではないでしょうか。そして良い悪い、高い安いを自由に当然の如く言います。
選挙でも同じです。政治家の方は国民に良いことをしてこそ受け入れられるのです。しかし私たち国民も国民として「どう在るべきか」をやはり考えなければいけません。
「人の振り見て我が振り直せ」です。今まで信じていた人が在る状況に至った時「掌(てのひら)を返したように変わる」ようなお付き合いでいいのかどうかです。自民党が悪い、だから民主党民主党が頼りない、では自民党では、何の節操もなく考えも持っていないと云う事を言われても仕方がないのです。お互いがただの打算でつき合っているような人間関係ほど虚しいものはないでしょう。
大切なお子様やご主人、奥様、ご家族が社会に「掌を返したようにされたら」皆さんはご家族や身内の方、大切な方を「あっさりと捨てるのでしょうか」?。
そうではないでしょう、きっと力を合わせ困難を乗り越えるはずです。孔子が政治の世界から外されていたとき、ある人から質問されました。論語、為政第2、21条にあります。
「或(ある)ひと孔子に謂(い)いて曰く、子奚(しなん)ぞ政(まつりごと)を為(な)さざる。子曰く、書に云う、孝なるかな惟(こ)れ孝、兄弟(けいてい)に友(いう)に、有政(いうせい)に施すと。是亦政(これまたまつりごと)を為すなり。奚(な)ぞ其れ政を為すことを為さん。」。
意は「孔子が直接の政治から離れていた頃、ある人が、なぜあなたは政治をなさらぬのか、と質問した。これに対して孔子は、自分の日常の行為がすなわち政治であるという考えから、書経の句を引いてこれに答えた。すなわち、書経の中に、「これこそは真の親孝行である。その人一人の孝行の行いが、ひいて家庭の内に影響を及ぼして兄弟の間に友愛の情を引き起こさせ、更にひろく、一国の政治の上にも影響を移し及ぼしている」とある。これによれば、親につかえて孝を尽くすことが、また一国の政治をなすことにもなる。自分は今、身を退いて直接政治上の活動はしていないが、家にあって正しい生活をしていることそのことが、必ず国の政治に影響を及ぼすものであるから、特別に世のいわゆる政治活動をなす必要はないわけである、と言った。」。
一国民として盲目的に一票を投じるのではなく、孔子の言葉を通して反省生活することも大事ではないでしょうか。一票を投じる人間としてどのような意識で暮らし、票を投じるかは将来の子ども達の行く末を考えることでも大切なことです。
明日は下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」です。午前10時から執行します。共に安泰と繁栄を祈りましょう、お待ちしております。今日の皆様の幸せをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
神戸北野を散策、その土地、その土地に相応しい蓋はあるものです。


風見鶏の館。

萌葱の館とピアノにロウソク立てがついていたので。


北野らしい。