道を問う

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運祈願祭・地蔵盆、大数珠繰り法要」おまいりありがとうございます。足下のお悪い雨の中、そして蒸し暑い中ご一緒いただきとても幸せでした。皆様がお帰りになられますときには雨もあがりほっとしました。雨の中を衝いてのおまいりに感動です。
皆様と共にご先祖様の供養、ご家族の無事、お子様達の心身の無事、社員の皆様の安全を祈ります姿にほほえましさ、優しさを感じる一時。共に祈ることで新たに内側から信力となる気持ちの高揚を感じるのが嬉しい事です。
昨日Tさんがお帰りになる前ご素晴らしいお話をいただきとても幸せな気持ちになりました。どのような話しかと言いますと。ああ信仰する家庭はやはり、という思いです。
ご主人が朝起きてこられると笑顔で合掌し「おはようございます」と頭を下げ、「今日も楽しく過ごしましょう」と丁寧に挨拶をなさるそうです。そのお話をお聞きして、お二人の微笑ましい姿が感じられ、とても幸せな気持ちに。食事の時も、外出から帰ったときも、お休みになられるときも笑顔でご挨拶を交わすそうです。素晴らしいご夫婦ですね、因みにご主人は傘寿です。来月お誕生日ですのでお食事をご一緒させていただけることになりました、感謝。
こんな話しも、もう結婚生活も50年を過ぎますと、目を見ただけで何を欲しているのかわかるのですけどね〜、言葉をかけてくれるのが嬉しくて・・・。ごちそうさまでしたTさん。
この世に「八万四千の法門」が在ると説かれます。生きとし生けるものすべてを救おうという御仏の広大な慈悲心の現れ。コツコツと真面目に暮らせば必ず光明に導かれ幸せな世界へ到達します。来月もご一緒にお祈りください。
「道を問う」。
いろいろな方からご相談を受けます。そのような中で、当たり前と言いますか、だからこそこのような立場となったのだと感心するといいますか、社会の中で一目も二目も置かれるような方が神事や仏事、家の方位や増築、改築、新築、引っ越し等のことを必ずご相談くださいます。
人生の大道を歩んでいる方は、一見思いのままになるように思われることを思いのままにしません、その一つが神仏の世界。
人を思いのままに動かせないことは誰しも承知です。だからこそ慎重に対人関係を結びます。
それ以上に事を大成する方は今日在るのはご先祖様のお陰という感謝、又ご先祖様は今日まで、現在の土地、氏神様にお世話になり家運を繁栄させてこられたのだという真摯な尊敬の念を持ち日々ご神仏に感謝の頭を垂れるのです。
神事や仏事はある意味では「自分の自由意志で何とでも成ります」。しかし実はこの何とでも成るという意識が「先の不自由を生む」ことを知っているのです。ルーツであり目に見えない、目の前に居ないものを無視するのが小人の証でもあり、だから心配り、気配りも出来ていかないのだということをいろいろな人を拝見して感じます。
事を大成させる人は「形(神棚や仏壇)を設え」、目に見えない世界を形にして頭を垂れ感謝、尊敬の念を示します。論理は形に示してこそ「継続されることを知っている」のです。「お陰」を形として表し日々敬意を表す、ですから何よりも先に神様仏様のお座りになる「場所」を設えるのです。自力では如何ともし難い世界があることを胆に銘じ、感謝できるからこそ繁栄につながっていくのです。
何とでも成るという安易な気持ちで家や会社を経営をしている人は、人様をも自由に使い、勝手の良いように使ってしまい、最も身近で大切な見えない世界の心を察することが出来ず、人心の掌握も、信頼関係も生み出せず、いくら正しいことを言ったとしても面従腹背の家族、部下しかできず、破滅を迎えてしまうことになるのです。それらは聞く人には「本人が言行一致していない故、押しつけに聞こえる」からです。
目に見えない存在(サムシング・グレート)のあることを信じる人だからこそ自然、神仏を大切に、ご先祖様を大切にするのです。そして専門外のことをその道の専門家に尋ねるのです。
道を信じない人はいくら自分が大望を持っているといっても「知る、知らずを知らず。何でも出来ると錯覚し何も作ることが出来ずに終えるのです」。「道理という世界、法則性という世界を知っているからこそ道を問い尋ねる」のです。質問は求める道を持っていなければ出来ません。
明晩は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」、明後日は神戸講座「論語を読む」です。「人生とは自分を知り、道を問うこと」でもあります。今日も楽しい自分を探す一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
Oさんからの差し入れの美味しい毛ガニ、ぺろっといただきました幸せな私です。