行動

おはようございます。

人は何故人格を高めたり、精神を高めるための修養が必要なのでしょう。それは「言動は学ぶもの、勇気は学ぶもの」だからです。「勇敢であることだけを誇って、そこに大義があることを知らなければ、秩序を乱すだけとなる」(論語、陽貨篇(ようかへん))、と孔子が述べているとおり、単に勇敢だけではいけません。必ず人としての学びが必要です。この「学び」とは、己の人格を高めるための修養やさまざまな知識の習得のことです。こうした「学び=智」と「勇敢さ=勇」が共に備わった人間になることが大切です。
学びを日々の実践の場の修練によって身につけなければ、知識は仇(あだ)になります。知っていても出来ない、行動できないのは日々の生活、仕事の中で実践し、修正せず、習ったこと、学んだ事の結果を出そうと努力していないからです。それは知を実践する勇、理想の実現への勇が足りないのかもしれません。
「行動」。
行動というのは、一回限りでの偶発的な行動、あるいは感情的な衝動によって引き起こされる行動ではありません。偶然、外に表れた行動に見えるかもしれません。しかし、実際は違います。常日頃から、自分の仁徳を高める努力をし、精神的な修養をしていなければ、いざ人のためであったり、会社のためであったりという意識がなければ出来ないのです。人生、会社は必ず発展しなければ継続はならないのが道理でもあります。そのような中で思い通りに進まなかったり、困窮したり、行き詰まったりと、試練がやってきます。
そのような場面に直面したとき、どうすれば、どうすればといった具合に、普段から困窮しないように工夫し、思考しながらの言動がなければ、いくら困ったからといっても勇敢に行動はできないです。「義を見て為さざるは勇なきなり」となります。先日も書いていますが、仁、思いやりを持たなければ真実学ぶ意欲には成らないのです。
会社や家が困ったことを目の当たりにして分かっていても、行動が無い故に滅亡、倒産の憂き目に遭うという事を多く見るのは、家族や社員の方が、家族のため、みんなのため、という使命感に気づかず、学んでいない故、日常の中での言動とならないのです。
それどころか、怖くなって逃げ出す、譲歩して争わない、責任を取らないという行動をとってしまう可能性が高いのです。
勇敢な精神は、何もせずして身につけられるものではありません。己の人間性を高め養う努力が欠かせないのです。そのために「心学」を修めるのです。欲だけで上位に立ち、結果、成果を出せない人というのは、真の勇気とは何ぞや、学びとはなんぞや、ということが解っていないのです。行動は常の修練が無ければできません。そして日常生活の中で味わう喜怒哀楽の中にいて七転八倒する苦しみの中で己を見失わないように出来るのです。
知って、すっ〜っと楽に歩めるような人生では己の世界など確立でき得るはずもないのです。苦しめば良いというのではなく、当然のこととして歩めば苦しい現実があるということです。だからこその修練でもあるのです。
明日は心華寺「秋季・彼岸法要」です。今日在ることにご先祖様に感謝する法要です。もしも現在苦しみを感じている生活であるならば、ご先祖様もこのような苦しみを味わいながら私たちを育ててくれたのだと、受け止め感じることも大切ではないでしょうか。
感謝の行動も普段から身についていなければできません。身近なご先祖様に感謝の行動が出来ない故社会の中での感謝の行動となるような発想や工夫も湧いてこないのです。午前10時からですお待ちしております。
  
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。