節目が

おはようございます。

3月は別れの時、出会いの時、いわゆる節目。えい、とばかり新しい世界に飛びこみ、えい、とばかり身を引くというのもなかなか勇気が要る、勇気を奮い起こすことが出来ずに、人生を変えたいのに変えられずにいる人も。いずれにしましても人生の節目はいろいろ、あるというより、来るといった方が良いのかも。
節目は大事、上にも書きましたが節目は弱気や不安に、節目が来たとき敢然と立ち向かうにはやはり上下関係や違いを確かに見て、その上、物事を公平、平等に見ることが肝要、それでこそ志を見失わないように修養できる。
昨日はその節目の「桃の節句・おひな祭り」でした。古人は節句と称し、苦労を体験した身から湧きでた智慧で、次世代の子、孫を励まし、何かあったとき、孤独感に陥らないように「周りには人がいるぞ、何かあれば相談しなさいよ」と子どもの健やかな成長を祝い励ましたのではないでしょうか、最近はシニア世代の方もご自分のためにひな祭りを楽しまれる方がおられるとか、素晴らしいことです。
「節目が大事」。
節目ということで、こんな句を「松に古今の色無し、竹に上下の節有り」と、揮毫などでよく書いています。松はいわゆる常緑樹。「松樹千年の翠(みどり)」という句もあります。春夏秋冬、幾歳月を通し常に青々と、その色を変えることなく「松に古今の色無し」。
竹もまたいつも青々としています、これには上下に節があるというのです。これは松と竹、無と有、古今と上下とを対比させ、なかなか修辞(言葉を美しく巧みに用いて効果的に表現すること)の妙を得たものです。しかし、これは単に松と竹の生態を描写しただけのものではありません。法理を含蓄し説いた名句でもあります。
私たち人間の平等だけを主張して男女や老幼の区別を無視してはいけないというのが意であり。また貧富・上下の差別だけを認めて人間としての平等を認めないのは、共に一面しか見ない、偏見、謬見(びょうけん・誤った見方)だともいっているのです。
平等でありながらそのままで差別歴然、区別歴然、違いがある。違いがありながらも一味平等、平等即差別・差別即平等と観ずるのが、真理にかなった円満な見解だよと句はいう。
上に立ったからといって有頂天にならず、下に在るからといって己を蔑むことをせず、不本意な状況に陥ったからといって、ふて腐れることなく、常に為すべき事を為す人間性に目覚めよという句でも。このように在ることで節目にあっても分相応な成長進化をを為していくことができると教えるのです。
今日パワハラ、セクハラ、虐待、偏見、謬見による過ちを犯し、被害を受ける人が多くいることは心が痛みます。これらは皆節目により生じた現実。就職、入学、恋愛、結婚、職場の人間関係、立場の上下、環境等、現実に正しい対処を出来なければこの節目で大きな落とし穴にはまってしまい、犯罪者にもなり、引きこもり、出社拒否にもなるのです。
こんな古歌が「雨あられ雪や氷とへだつれど、とく(解く)れば同じ谷川の水」、これは上の意味をうたったものでしょう。
「松に古今の色無し」で平等一色の面を、「竹に上下の節有り」で差別歴然の面をうたったのです。私たちの世界全体が平等即差別・差別即平等の真理を表現してくれた歌でもあります。
区別、違い在る社会でありますが、正しい見方を為し、心を練り上げれば夢を忘れない見失わない、過つことのない自身と為すことが出来ます。
松は大地(立っている所)が厳しい中にこそ育つからこそ、めでたいとも。竹は上下に節があっても歪まない、竹を割ったような気性と、爽やかで好感度有る人間性を例えた言葉でもあります。このような粋な人間性を養いましょう。
今夜は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」。老子のタオ、自然はさまざまな違いがあって平等、その道を体認しましょう。
明晩は「にんげん学」東京講座「論語を読む」、30分早い開講です、お間違いのないようにお出かけください。今日も充実した一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。



毎月第一日曜日午前10時、京都宇治・心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。24日午前10時、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。縁を幸いとし、福と為す開運護摩法要。お金が満載した船が入って来る金港辯財天。勝ち運が授かる愛宕寺。どうぞおまいりください。