修練

おはようございます。

昨朝午前7時に東京駅中央線の最後尾車両付近で待ち合わせしましょうと、九州水巻のTさんと約束、息子さんが東大和市に新しい家を建てられたということで入居前にお祓いに行ってきました。
ご家族全員と水巻から来られたお父さんと5人、真摯に天地の神に大地の一画をお借りし、家を建てたことのお許しをいただき、天災、人災がもたらされないようにと、畏敬の祈りを捧げました。
親はありがたいですね、遠く九州から上京、息子さんの家族が安泰でありますようにとの思い、ありがたいことです。
そのような思いをして帰りは国分寺駅から一人で東京駅まで帰りました。東京講座にご出席のTさんやMさんがこのような遠方から参加くださる、鎌倉から参加のSさんも一時間超かかってお出でいただいているのですから、ありがとうございます東京は広い。
「修練」。
修練、修養をしなければと改めて国分寺からの帰りの車中で思いました。論語、憲問(けんもん)第14、35条「子曰く、驥(き)は其の力を称せず。其の徳を称するなり。」。意は「孔子言う、良馬と称せられる馬は、もちろんその力においても他の馬に勝っておる訳ではあるが、良馬が良馬として称(たた)えられるゆえんは、その力に存する訳ではなく、訓練によって得ている、馬としての徳に存するのである。」。
私であれ、どなたであれ、何かを継続していることはあるはずです。継続できる、続けられることが「徳」です。何事も授かった徳に磨きをかけてこそ上達できるのです。また継続することを徳ともいいます。あるときこの条を読み、思わず「そうかと膝を打ちました」。人より優れることできないが、「これなら続けられるという、したいこと、やりたいことは持っていたから」です。
孔子はこの条で「達士(ある物事に練達した人)」は、もとより才能がなければいけませんが、達士の達士たるゆえんは、「才能よりもむしろ徳に存することを譬え」教えたのです。「徳を磨くことを気づけと教えた」のです。
己の心を外に引かれず、惑わされずに修練、修養を続ける徳こそが、その道の世界で達士となれるのだ、真実の達士とは己の力を誇るような人間ではなく、修練することで磨きがかかることを信じ喜ぶことの出来る徳を大切にする人です。この教えは私に勇気をもたらしました、自分を磨けば達することができるという明快な孔子の教え、精進しましょう、皆さん。
もうすぐ東日本大震災から3年、まだ行方不明の方が多数です。復興も道半ばです。私も日々お亡くなりになられました皆様への回向を捧げております。そのような中で明日、明後日と「復興支援・チャリティバザー」を京都市下京区大宮西入る「アークカラープロジェクト・スタジオ」さんで開催されます。是非お出かけの上ご協力ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。



昨日お祓いに行きましたおり、ふと見ましたら「霜柱」が、前日とうって変わり好天に、富士のお山です。




毎月第一日曜日午前10時、京都宇治・心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。24日午前10時、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。縁を幸いとし、福と為す開運護摩法要。お金が満載した船が入って来る金港辯財天。勝ち運が授かる愛宕寺。どうぞおまいりください。