おはようございます。

6月、今月もよろしくお訪ねください。私たちが今こうやって在るということは、突然にここにいるわけではありません。私たちの一人ひとりが、それぞれの事情はあるにしろ、しかるべき両親の想いのもとに生まれてここにいるのです。その居場所も、多くの場合、先人が苦労して切り開き守ってきた場所であります。
つまり、一人ひとりの人間の誕生と成長には、その背後に多くの繋がりがあって、その繋がりの結果としてここに居るのです。今の自分を振り返って、過去におけるその繋がりをさぐり、明確にして、感謝していくことこそが、人間の本当の在り方ではないでしょうか。
もし今を否定しているのであれば、それは未来を否定することになるのです。今が無ければ未来はなく、明日への希望もないのです。また昨日までの努力も虚しくなります。そのような哀しい人生で在ってはなりません。
過去は「鑑(かがみ)」ですお手本です。「どう生きれば良いのかの鑑、お手本が」ありがたいことに沢山にあります。その事実に感謝出来る人が未来への大きな夢を持つことができ、夢の実現、飛躍を可能とし、繁栄を確かにする人です。
祈りは、感謝の行動の原点の姿。良い繋がりを多くする者が繁栄することは歴史から観ても誤りがありません。繁栄は繋がりに因ってなるのです。個と個の繋がり、個と集団の繋がり、集団と集団の繋がり等々。そこに流れるのは感謝と尊敬、それと謙譲です、その行動の代表が祈りです。
人生には必ずといってよいほど「節目」があります。その節目、ターニングポイントを良くするのか悪くするのかは、感謝の祈りが出来ているか否かです。このことはオーバーで、大げさな表現ではありません。この節目、縁があってこそ大いなる飛躍が得られるのです。
私たちは日常生活において置かれている状況を俯瞰して判断できるほど、広い視野で物事を観ていません。特に、怒りの感情や欲に囚われているときは、目の前の事しか見えなくなります。視野が狭くなると、目の前に立ちはだかる壁はどうやっても乗り越えられないほど高く見え、かえって悩みや苦しみは耐えがたいものとなってくるでしょう。
しかし、起きた問題はなくなりませんし、過ぎた時間も戻りません。しかし、金港辯財天様に祈りを捧げる日常を習慣としていますと、何か問題が起きたとしても解決の方法が見えてくるのです。そして問題が起きないようでは繁栄も無いことを知るのです。
故に何が起きたとしても動じなくなり、新たな芽の兆しとして感謝できるようになるのです。祈れば安泰が在るというのは、どのような状況に遇ったとしても祈りを続ければ己を見失わないからです。
今日は第一日曜日、それも月初、月初めに共に祈れる心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。これは好機です、この良縁を逃してはなりません。どうぞご一緒に祈り素晴らしいご縁、繁栄の繋がりを得ましょう。お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
久しぶりに夕日を、もう少し撮りたいと場所を選んでいたらもう、人生と同じですね、今と思っているときにやらなければ・・・しかし次がある、明日があると思えるのです。