仕える道

おはようごいざいます。

葉月8月、今月もよろしくお願いいたします。「稲の穂をはる月だから葉月」というそうです。このように見ていきますと、古人はなんと素直だったのかと思われます。自然を観たそのまま、直感で名付けたのではないかと感心してしまいます。
昨日は愛宕寺前住職の祥月命日法要並びに墓前での回向法要を執り行いましたところ、お暑い中にもかかわりませず沢山のおまいりをいただきありがとうございます、お陰様でした。前住職への報恩を忘れずにおまいりをいただき感謝いたします。皆様の行動がこれからの私の在り方に道を示して下されました。前住職様のように慕われるようにしなければと改めて思います。
報恩を忘れず直感を曇らせないためにやはり我欲を少なくすることが大切ではないでしょうか。世間を見る目は「自分の価値観を通して観る」からです。小欲知足、人生欲に惑い、欲で道を踏み外し、欲で過つ。その我欲を少なくする道の一つがご先祖様を大切にする道、仕える道、家を大切にすることです。謙虚を身につける日々を送る。
明後日3日第一日曜日は心華寺「盂蘭盆会・施餓鬼供養」。4日は愛宕寺「盂蘭盆会・施餓鬼供養」共に午前10時からですどうぞお参りください。先祖供養に勝る積徳、徳を積む功徳はありません。
「お盆の由来」を書きましょう。お盆にはご先祖様が私たちのもとへ帰ってきます。門前で焚く迎え火、各家の軒先または精霊棚に灯された提灯の明かりを頼りに帰ってみえるのです。お迎えする私たちは飾り付けをし、百味五果(数々の食べ物、多くの果物)等のお供えをして、ご先祖様のお帰りを心待ちにします。
お盆は正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といい、もともとは古代インドの言葉「ウランバナ」に漢字をあてたものです。
ウランバナは「倒懸(とうけん。逆さづりの苦しみ)」という意味を持ち、大変な苦しみを受けることを意味します。大変な苦しみの一つが「身内の争い、不和」です。その苦しみを受けている者を救うために、さまざまな供養をするのです。もともと旧暦7月15日を中心にとりおこなう行事でありましたが、時代の変遷と共に新暦の7月15日におこなったり、あるいは8月15日に営んだりするようになりました。その由来は「盂蘭盆経」に説かれる仏教説話によります。昔、お釈迦様のもとに、目連(もくれん)さまというお弟子さんがいらっしゃいました。たくさんいるお弟子さんの中でも神通第一といって、すぐれた神通力をもっておられました。
ある日、その神通力を使って先に亡くなっておられたお母さんの様子をみたときのことです。お母さんが口にする物は、食べ物も飲み物もすべて炎となって燃え、炭になってしまい、何も食べられないでいました。お母さんは餓鬼道に落ちていたのです。
その様子をご覧になった目連さま、自ら食べ物や飲み物を差し出しますが、どうしてもお母さんを救うことができません。そこでお釈迦様にお尋ねすることにしました。
お釈迦様は、「今日、7月15日というのは修行僧が自らのこれまでの修行のありようを反省し、懺悔する日である。そこで僧たちに供養をして、僧たちの徳をいただけば、母のみならず、父も親族も先祖もみな救われるであろう」とおっしゃいます。
目連さまは、お釈迦様のいわれるとおり供養を施したところ、お母さんはやっと救われたという話です。
7月15日を中心としてお盆に、ご先祖様をお迎えして、供養するのはこういうわけがあったのです。
お盆には故郷へ帰省なされる方も沢山あるでしょう。皆さんのお家は野中の一軒家というわけではないはずです。周りにはいっぱいの灯火、灯りが家々には点っているはずです、しかしいくら沢山あっても家の一灯を見誤ることはありませんでしょう、私たちも心の故郷へ帰るとき灯火を目指して帰るのではないでしょうか。
家族を大切にしましょう。家族愛は損得で考えてはならないのです。理屈抜きで仲良くすべきです。いいお盆を過ごしましょう。そのためにも3日は心華寺、4日は愛宕寺で「ご先祖様」への「施餓鬼法要」を執り行ってください。共に午前10時からです、お待ちいたしております。
今月は特に意識して家族、兄弟、親戚の方と仲良く接しましょう。身近な暖かい世界が広い世界を暖かくし、自身の心を豊かにし、人様に暖かい心で接することを常となり、人柄となり、多くの人々に親しまれるようになるのです。そして社会の不幸な事件をすくなくするのです。今月もよろしくお願いいたします。8月のスタート愛情深い、慈悲深い心で一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。