おはようごいざいます。

7月も今日で終わります、今月もお訪ねいただきありがとうございます。とりとめもないことを毎日書いていますが、精一杯書いています、お読みいただいていると思うだけで感謝いたします。昨日も書いていますが、人様を拝見して共感しそれを目標に出来たことがうれしく思っています。今日は愛宕寺の前住職の祥月命日です。法要を済ませて十日ぶりに宇治に帰る予定です。
命日だからというわけではないのですが、「命(めい)を受ける」「命を立つ」「使命を果たす」などの言葉があります。何か「命(めい)」といいますと大変な事のように思われますが、事実生命は大切なことはもちろんです。
命(めい)、自分が自分であることに目覚めることが「命を知る」ことです。「両親にいただいたこの生命をどのように生かすか」です。そして、出会った多くの方の大切な命を感じ、薫陶影響を受け、それにどのように対し恩返しするか、応じるかです。
面倒なことを書くつもりはありません。目の前のことに不満を思わずに当たることが「命を立つ」「使命を果たす」ことだと受け止めています。以前も書いていますが「運命は選べません」が「受け入れて対処することが出来ます」。それによって人生は大きく展開が異なります。
今蝉の声が朝から賑やかです。その蝉でさえ長年地中にいてようやくに地上に、そして精一杯の生命を鳴くことによって命を立てているようにも感じます。
命の存在が肉体の存在だけであるのなら祥月命日や月命日に読経し菩提を祈ることなどはしないでありましょう。命はやはり「心の中に在る」のです。このように考え行動した先人はなんと素晴らしいのでしょう。いつも「心の中に居る」。いつまでも消え失せない。「魂の存在」。だからこそ「志にも出来る」。
若い頃に師に「そこに居るだけで命がある」「命の輝きがあるのだ」と教えられ感動したことを覚えています。その言葉をいただいた以降はひたすら目の前のことに対した思いがあります。どこが私の居場所だろうなどとそれ以来考えたことや悩んだことがありません。だから今日下関で宇治で輝くことが出来ているのだと感謝でいっぱいです。そして共に前住職の菩提をご一緒にお祈りくださる大勢の方が在る。
今在るところが「命を立てること」だと教えられ、自覚できたことが心の自由を得たのです。今日も「ポストにベストを尽くし命を発揮」しましょう。輝くあなたを世間は黙って見過ごさないはずです。一ヶ月の命、感謝いたします、皆様のおかげで輝くことができました。今日も輝ける一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
昨日夕方から山陰線の角島という所まで夕日を摂りに行ってきました。残念ながら夕日は拝めませんでした。しかし雲に隠れているだけです、人生ですね!








角島に行く途中にあります、二見浦の夫婦岩、どこかにもあるような?

今日のお昼カレーうどんです。汗をいっぱい出してスッキリ、前住職の命日を無事済ませ、しっかり大きな声で読経したお陰でしょう、ごちそうさまでした。