挫けない

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座へご出席の皆さんありがとうございます。足下の悪い中感謝いたします。
昨日の話、「苦しみや悲しみに挫(くじ)けなくなる」。私の一番苦手なことの一つ「耐える」というよりも、できなかったことに対して「事実を認めず他のせいにする」ことで責任回避していつまでも同じ過ちを繰り返し、進歩がなかった。
できるようになりたいのに辛抱がなく若い頃は何一つ身につけたものがなかった私。
今でも変わりません。できることをやっているだけです。ある時から「勝れた人を見たとき、美しいものを見るような気持ちになったようです」。そうします知らない間に素晴らしい人から影響を受けていることに気づきました。
辛抱しなければ、我慢しなければという思いは、何かにぶつかる度に思ったものです。しかし「逃げた」、逃げたから「変わらなかった」。逃げて逃げてもう逃げ切れなくなるまで逃げて、そこに坐り込む、そこで始めて「できることをやろう」と。そして「挫けなくなった」。
ボールを遠くに投げようとすれば腕を後に大きく引かなければ遠くに投げられません、矢を勢いよく遠くに飛ばそうと思えば腕大きくやはり引かなければいけません、ジャンプするときには屈みます。飛ばせない、ジャンプ出来ないという現実を体感したとき、「やり直すチャンス、力を蓄えるチャンス、力を蓄える時だ、戦う時ではない」と老子は教えます。
一旦退く時、「いつかは、いつかは」という「思いを忘れず力を蓄積、蓄えていく」のです。下がる、引くということは「精気・エネルギーを溜(た)めること」です。逃げるのではなく、一旦下がり建て直す、実力を養うということです。
夢が希望が志があるから無駄な争いをせずに、力を蓄えよ、弱いときに戦ったとしても、更に弱体化するだけだ、無駄なことはよせと教えます。力を蓄えてこそ苦しみや悲しみにも「応じられるようになる」のだと老子は教えます。一旦潜在意識の中に「蓄えるという意識をアンカーすれば、挫けなくなる」ぞというのです。
自分の心に正直に素直になって、何でもできる、間違っていないなどと思わない自分と出会ったとき、「争うこともなく、逃げることもなく」全てに素直に応じることができるのです。現実の「できる、できない」を直視してこそ「力を蓄えることができる」のです。それでこそ「挫けない自分ができる」のです。
敵対しても何の得もありません、力を蓄えもせずに、放出するのは力を弱めるだけなのです。和合すればこそ「新しいものが生まれるのです」だから挫けなくなると老子は諭します。今日も和合する一日を過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
伊丹「寶樹庵」のYさん毎月美味しい生菓子をありがとうございます。Aさんには美味しい「しろえびのおかき」をいただきました。ごちそうさまでした。