何のため

おはようごいざいます。

昨日は良いお天気でした。お日様が当たるところは暑かったですね。しかし朝晩と日中は気温差がありますので体調管理は気をつけなければと言い聞かせています。
人間は弱いものであるといつも思います。だからこそ信じる。弱いからこそ目標を作る、そこに向かって歩んできたというのが私のこれまでの来し方です。昨日の新聞に「受験勉強の意味とは」という高校一年生の女の子からの人生相談が載っていました。
ああこの子はすごいなと感じて読みました。志望校を落ち、周りからは「努力は報われる」と励まされ、結果落ちた、そして上記の相談です。「何のため」という人生の命題である問題提起を高校一年生で自分に問い、そして尋ねている、この女の子と同じ年の時私も勉強をしたいと思って故郷の一番レベルの低い高校(今ではそのようなことはありません)、私の入れる高校に入りました。
何で勉強しなければいけないのか、というよりも「勉強がしたい」という思いでした。相談の女の子は、「結果を出さなければ、勉強したうちに入らない」といわれたそうです。そして「結果のために勉強しているって事でしょうか、一回きりのペーパーテストで未来が変わるのはおかしい気がする」とも質問しています。まったくその通りです、何度でもチャレンジできるのが人生、自分の為にするのが努力です。
私はこの子は素晴らしい人生を送るのではないかと感心して読みました。今はとても苦しんでいるかもしれませんが、情感豊かな、情緒豊か人生を送るのではないかと感じています。
人は何かにぶつかって初めて何とかしようと思います、女の子は志望校を落ちたという現実に直面して、?疑問を持ちました。そこで初めて「なんのため」という疑問を持ったことは素晴らしいことです。この子は苦しみながらでも必ず自分に相応しい道を見つけることでしょう。
私は勉強は自分を知るためにやるものだと思っています。とても漠然としていますが、転んでそのままじっとしている人はいないはずです、立ち上がります、そして「何で転んだのだろう」と考えます。人生も同じだと思っています。私は現実を「今のままではいけないと否定した中で」、「自分を変えようと行動し始めました」。そして「今現在何ができるかを自己認知して積み上げてきました」。これからも昨日を超える今日を歩んで行こうと思い行動していくのです。
明日はその正しい変化を祈る愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」です。午前10時からご一緒に、今を変え素晴らしい未来とするために祈りましょう。そして能動的に歩みましょう。そのような思いで行動していますと、必ずや素晴らしい縁が目の前に顕れるのです。素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
「にんげん学」神戸講座を終え下関に入る前に改装塗り替えされた姫路城へ。さすが世界遺産白鷺城と言われていることが肯けます。






藤の花も咲いていました。何枚撮っても写しきれません、それほど魅力的でした。









※学校にいきづらいなぁ〜・行きにくいなぁ〜、会社にいきづらい、でも何とかしたいなぁ〜、自分の夢を追いたいなぁ〜、したいことをしたいなぁ〜と考えておられる皆さん、心のオアシス「特定非営利活動(NPO)法人こころのはな」はいつでもお電話でのご相談を受付ております。0774-45-5561(斯波まで)、お待ちしております。
メール相談も承っています。e-mail shiba@kokorono-hana.com。ダイヤルを回す、キーを叩く勇気をお父さん、お母さん少しだけ出してみませんか?HPもご覧になってみてください。お話しすることで気持ちが楽になるということがあります、また良いアイデアが浮かんでくるかもしれません。お待ちしております。
※毎月第一日曜日午後2時より無料相談を行っています。気軽にお出かけください。先ずお電話をいただければありがたいです。0774-45-5561、斯波までお願いします。東京、大阪、名古屋、神戸、下関、北九州小倉は毎月行っておりますので、どちらの場所でも結構です。各地でのご相談日はお電話でお問い合わせください。
※反ナチ運動組織のニーメラーの言葉に由来する詩。1945年頃に書かれたと言われています。
ナチスが最初共産主義を攻撃したとき私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。彼らがユダヤ人を連れて行ったとき私は声をあげなかった。私はユダヤ人ではなかったから。そして彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。」
いかがですか、耳の痛い内容です。この種の状況は「イジメを見て見ぬふりをするのはイジメの加害者と同じ」です。しかし私たちも見て見ぬふりをしただけで加害者呼ばわりはされたくありません。だからこそ周りの人で困っている人を見かけましたら、是非「NPOこころのはな」を教えてあげてください。お願いします。