損得ではない

おはようございます。

本当に坊主という生き物はどうしようもないなとつくづく思います。どんなことで感じるかと言いますと、先ず曖昧、いい加減、脇が甘い、これは仕事をするときにはとてもよろしくない、確かな指示をして幅を持っているというのであればいいのですが、ただたんに、「やって、して」、といった具合に具体的な指示ができない。これは人を惑わすばかりだと、しみじみと自分のいい加減さにあきれかえっています。
考えてみれば、今まで浮世離れをしていたからこそ皆さんがおつき合いくだされたのではないかと、皆さんの慈悲に感謝しています。
チャリティゴルフコンペをしたいといえば、しっかりと計画を立ててくださる方が現れて進めて下さる。NPO活動をしたいと思えば、また皆さんがお力を貸してくださるといった具合です。
これらすべて皆さんの慈悲、義侠心からお助けいただいているということです。感謝しなければいけないとなと昨日NPOの打ち合わせを終え反省しました。
菜根譚(さいこんたん)に「友情に損得をもちこまない」という話しがあります。前集15条「友とは三分の義侠心をもって付き合う。人間らしく生きるには素直な心を持ち続ける。」
孟子(もうし)」は、「義」とは良心の意味であり、義侠心とは規範(システム)に則って自己を抑える心のことだと、言います。「友人とは肝胆相照らす仲であることを尊び、義侠心を重んじる間柄」だというのです。
最近では残念なことに、「義」よりも「利」を優先する風潮が強いのが悲しいことです。「金銭とは皆が求めるものだ」と看破(かんぱ)する者も現れ。「友人とは相手の財布に手を突っ込み合うような間柄ということであり」、人間として悲しい事です。
友人関係、人間関係では「義」の字を重視し、人間らしさを保つには「素」の字を忘れないことではないでしょうか。
本来、「素」とは何の色にも染まっていない純白で上等な絹織物を意味するそうです。純潔という含意(がんい)もあるそうです。
皆さんから沢山お世話になり、曖昧であっても、いい加減であっても、人間らしさを保つには清らかな心を忘れないように心がけよ、という「菜根譚」の教えに昨日はズシンと胆に堪える日でした。
「世間の習わしに従っても俗には染まらず、利に目がくらんで道義を忘れることなく、金銭を見ても喜ぶことはない。」という心を持ち続けなければいけないと大いに反省する一日でした。そして知らない事は知らないとして素直に学び、できない事は出来ないとして素直に認め、できていないことも素直にできていないと認め、我利(自分を守ること)に目も心も眩まないことが、幾つになっても成長出来るのだと素直に修正する大事を改めて感じました。
皆さんも義侠心をお忘れなく今日一日過ごしてはいかがでしょう。素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
今朝は薄曇りです。

もう直ぐ麦が実ります。

宇治も田植えが始まりました。

※学校に行きづらい、会社に行きにくい、なぜこんな気持ちになるのでしょうか?それは自分に正直だからではないでしょうか、自分に正直になり生きるのに誰に話せば良いのかわからない人のための一時避難のオアシスが「特定非営利活動(NPO)法人こころのはな」です。
お父さん、お母さん、同じ悩み苦しみを持っている方たちとお話ししてみませんか。分かち合いますと何か光が見えてくるような気がするのです。それだけでも心が楽になります。0774-45-5561(斯波(しば))、がお待ちしております。メール相談も承っています。e-mail shiba@kokorono-hana.com。