嫌がることをしない

おはようございます。

先日から荒れ模様の天候で方々に被害が出ています、お見舞い申しあげます。浅間山も噴火の心配があります。何事も無いようにお祈りします。
「自分が嫌なことは人にしない」ということを論語、公冶長(こうやちょう)第5、12条の中で孔子の弟子の子貢(しこう)が言っています。
ですが、孔子に「お前さんには無理だろう」と言われてしまいます。子貢は頭もよく、弁舌も爽やかな弟子でした、弁舌に爽やかな人は往々にして言葉で人を傷つけてしまう危うさを孔子は感じたのでしょう。私には殊更無理なことだと思っています、思っていますが、やはり人の嫌がることはしたくありません。
しかし、嫌だなぁ〜と思うことは自分の短所でもあります。指摘されて気づくということもありますので、人の嫌がることは言わないようにしても、自分が嫌だなと思うことは言って貰うことも必要です。
人を育てるには寛容が大切だということは重々承知です。しかし注意をしたり、叱咤したりすることも大切だと思っています。教えた上でできなかったとき、寛容さを示しながら、確かにやり直させることが大切です。
不快に感じることや、してほしくないと感じることは日常の中で意外と多いものです。「悪口」「不平不満」「理不尽なことで怒る」「欠点ばかりを見つける」など、挙げればきりがありません。
私などは、自分が正しいと思い、正論の如く人を責めてしまいます。私の大きな欠点です(言った後に自己嫌悪に陥ってしまいます、だったら言わなければいいのにと、後悔するのです、愚かですね〜)。
「相手の視点に立って物事を見ると、人を責めることがなくなる」と孔子は教えます。それを「恕(じよ)」という語で教えました。孔子は「恕」を大切にしました。慈悲・仁愛です。そうして相手の視点に立つと「相手がされて嫌だと思うことが見えてくる」というのです。
そうだよな〜私は何度読んでいてもわからなかったのは、自分の事しか考えていなかったんだよな〜と、先日から一宮講座の新資料作成のため読み返しして、今更ながら改めて己の愚かさに気づかされています。言行の不一致に気づいていない、恥ずべき事です。
「職場や日常生活のなかでも、周囲の状況や環境を考えて思いやりをもって対応すること」が、人間関係をより円滑にすることなのだと、気づかされました。
それは「同時に自分が過ごしやすい環境を作ることになる」のではないかということも気づきました。
しかし孔子は気づいても「頭で考えたり、口でいうのは簡単だが、行動に起こすことの難しさを忘れるな」としっかりと、子貢に釘をさしたのでしょう。否、私に釘を刺しているのでしょう。「恕」、思いやりを人間としての根本の思想として、困難を覚悟の上で、人様に、周囲の人に嫌な思いをさせないようにしたいと改めて思っています。
その上で、周囲の人がもし過ちを起こしたなら、素直に修正してくれることを信じることにしました。先ず自身が「改めること憚(はばか)る事なかれ」ですね、学ぶことの大事を今更ながら実感しています。素晴らしい一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
一昨日「にんげん学」京都講座にご出席のHさんからいただいた「筍すし」破竹に味つけをして、小豆の入ったご飯(ついたような感じで筍を炊いた煮汁で薄味をつけている)を巻いた、初めて味わう何とも言えない、筍、小豆、ごはんの三つの味がお互い引き立てる美味しいお寿司でした。Hさんごちそうさまでした。



※学校に行きづらい、会社に行きにくい、なぜこんな気持ちになるのでしょうか?それは自分に正直だからではないでしょうか、自分に正直になり生きるのに誰に話せば良いのかわからない人のための一時避難のオアシスが「特定非営利活動(NPO)法人こころのはな」です。
お父さん、お母さん、同じ悩み苦しみを持っている方たちとお話ししてみませんか。分かち合いますと何か光が見えてくるような気がするのです。それだけでも心が楽になります。0774-45-5561(斯波(しば))、がお待ちしております。メール相談も承っていまe-mail shiba@kokorono-hana.com。