人である以上

おはようございます。

人は人である以上、弱さや愚かさを持っていると考えています。だからこそそれを隠さずに、認めて素直に在りたいと思うのです。老子が背伸びせずに生きよ、爪先だっては長くは歩けないぞと教えるように、自分を偽らずに歩みたいと常々考えています。
そうしなければ、優れた人に出会えず、逆に弱いと気づいていなかったり、愚かだと考えていない人と出会ってしまい、豊かな人生とはならないような気がするのです。
自分を認めますと、身の丈に合った日々があり、ゆったりとした気持ちで何事にも取り組むことができ、繰り返していけば自然に上達できるのことがとても嬉しく喜びが大きくなるのです。
何度も何度も経験し鍛錬しますと愚鈍な私でも俊敏になるのを体感しています。それが時習「時に習う」ことだと論語を読み、確かにした喜びは今でも忘れません。繰り返すことの偉大さ、孔子でさえ、何度も何度も、死ぬまで「一を以て貫く」人生を送ったのですから、凡夫である私が、ウロウロとして善いわけがないのです。
孔子は「俊敏な行動力をつける」ことが大事だと教えてくれました。それは、論語、里仁第4、24条に「子曰く、君子は言に訥(とつ)にして、行いに敏ならんことを欲す。」。という言葉です。話すことの苦手な私に光明を与えてくれた条です。
意は「人の上に立つ君子には、言葉の巧みさは必要ない。それよりも、俊敏な行動力が求められる。」。というものです。
私は人の上に立とうなどと考えていたわけではありません。しかし愚図だったので、俊敏に動きたいと思っていたことは事実です。
私は私の能力で目標に達したいと考えています。そして何事も繰り返すことで知識も技術も俊敏さも身につくことを教えられました、そのことを「そうだ」と直感しましたので、愚鈍に一つのことを繰り返しているのです。
愚かさ、弱さを知り、それをベースに一つの事、これだ、と思ったことを行い歩めば夢の実現は可能だといつも思えるのです。それが私の人生に活力を与えてきたようです。今日も一歩ずつ歩みます。
一つのことをやってきたお陰で多くの優れた人の存在を知ることができたのだと感謝しております。ウロウロとしていたのでは、周りを見渡す余裕などは持てなかったとも思っています。
人様と比べて自分を云々するのではなく、人様を観察する、優れた人を尊敬できる楽しみ喜びを感じることができるようになったことも幸せです。自分を追求し階段を一段ずつ昇る喜びを実感する気持ちに勝る喜びはないのではないでしょうか。自己満足と笑われるかも知れません、それも私の身の丈に合ったことだと思っています。
こうやって毎日ブログを書くことができますのも(実は恥をかいていると思っています)、子どもの頃「嫌なことがあったことを毎日日記に書いていたことが習い性になった」のです。
今夜は「にんげん学」一宮講座、明晩は東京講座です。皆さん会場でお待ちしております。確かな一歩を楽しく歩み、昨日より少し何かをプラスしてみましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※学校に行きづらい、会社に行きにくい、なぜこんな気持ちになるのでしょうか?それは自分に正直だからではないでしょうか、自分に正直になり生きるのに誰に話せば良いのかわからない人のための一時避難のオアシスが「特定非営利活動(NPO)法人こころのはな」です。
お父さん、お母さん、同じ悩み苦しみを持っている方たちとお話ししてみませんか。分かち合いますと何か光が見えてくるような気がするのです。それだけでも心が楽になります。0774-45-5561(斯波(しば))、がお待ちしております。メール相談も承っていまe-mail shiba@kokorono-hana.com。