供養とは

おはようごいざいます。

今週末から盆休みに入るのではないでしょうか。先日からお盆のことを書いていますが、故郷へ帰るのは正月以来とか、久しぶりにお帰りになるという方もいるのではないでしょうか。ご先祖様の供養をしっかりとしてきてください。
手を合わすことの素晴らしさは時々書いていますのでおわかりのことと思います。「供養の意義」を少し書いてみましょう。「供養」とは「供給資養(きょうきゅうしよう)」の略です。サンスクリット語の「プージャナー」の訳。仏・法・僧の三宝(さんぽう)や、亡くなった方の霊に対して、身・口・意(こころ)の三つの方法によって、供物を捧げることを意味します。さらに広い意味では、お寺で行われる様々な法要も供養の儀式であります。仏壇やお墓におまいりすることも、供養です。
その中で私たちにとって、最も身近な供養は、「法事」です。「法事」とは、本来仏法上の行事を指し、多岐にわたりますが、現在では「追善供養(ついぜんくよう)」(先祖供養)の同義語として多く使われています。
「追善」とは「善きことをあとから追って営む」という意味です。「追薦(ついせん)」「追福(ついふく)」「追修(ついしゅう)」などの類義語があります。仏前にお花やお香、お灯明や珍しい食物をお供えし、共に読経を営む功徳によって、亡き方々に安楽を得ていただくのです。
このとき大切なことは、亡くなった方に対して、生前と同じように真心を持って向かうことであります。
亡き方は、残された家族の幸せを願い、健康で安らかな日暮しをして欲しいと、いつまでも見守ってくだされているはずです。さらに大事なことは、様々なお供え物に加えて「安心」という眼に見えないお供えをすることでありましょう。亡き方に安心してもらえるような正しい生活をし、日々感謝の合掌を捧げることが、最良の供養なのです。
お仏壇にはお花をお供えします。そのきれいなお花はやがて枯れてしまいます。私たちの命もこの花のようにいつしか枯れてしまいます。私たちのいのちは、この宇宙の歴史にくらべますと、ごく短く、はかないものです。当たり前のことですが、この世に生まれた人の数と、この世で亡くなる人の数は、永久に同じです。そして、一度失われたいのちは、決して蘇ることはありません。
植物はしかし、その個体の終わりが、全ての終焉ではありません。一本が枯れても、その下から芽が出てきます。しっかり枯れたと思っていたら、数年後、新芽が出てくることもあります。
私たち人間を含む生命は、はるか38億年前に、たった一つの細胞から生まれたといいます。
そのたった一つの細胞が長い時間をかけて、あるものは植物になり、あるものは昆虫になり、さらに人間などに進化して多様化しました。
私一人のいのちは、短くはかないものですが、生命科学から言いますと、38億年を貫くいのちでもあるのです。そして目の前の一人は消えても、その人が生きている間に発した言葉や、残した文章、抱いた思想などは、すっかり消えるわけではありません。
誰かに伝わり、鮮やかに再生されることもあるでしょう。このように考えますと「亡くなった」ことは、決して「終わり」ではないのです。
私たちが、花の姿に感動するのは、その瞬間に精一杯の「生きる力」を、感じるからなのではないでしょうか。
生命の源泉をたずねれば「いのちのあるすべての存在は我が仲間である」ことに、気づかされます。そのいのちの深さを感じることが、「供養の心に通じ」ます。
まごころからの供養を営むことで、私たちは、亡き方方と結ばれます。好物を供えては故人を想いだし、感謝のこころを添えます。
波打っていた気持ちは、次第に安らかに穏やかになって行くでしょう。そして、同じ境遇の人に、思いやりの言葉をかけることもできます。
このような善き行いで得た功徳を、他に分け与えることを「回向(えこう)」と申します。自分の修めた供養の善行の結果を、人々のためにもなるように回(めぐ)らし、向けるのです。功徳とは「幸福に生きるためのエネルギー」です。
「私がさせていただいた行いを、あなたさまにもお分けさせていただきます。あなたさまも幸福でありますように」と、直接人々に向かって言いませんが、ご先祖様に行います供養を通し、清らかなこころで願うのが、「回向」であります。
み仏の功徳を、すべての生きとし生けるものにわけあう経典「普回向(ふえこう)」があります。
願似此功徳「がんにしくどく・願わくは此の功徳を以て」
普及於一切「ふぎゅうおいっさい・普(あまね)く一切に及ぼし」
我等与衆生「がとうよしゅじょう・我等と衆生と」
皆共成仏道「かいぐじょうぶつどう・皆共に仏道を成ぜんことを」
自分が行った供養の功徳が、他のすべてに及び、皆が共に「仏の道」を成し遂げることができますように、という願いと、誓いの経文が「普回向」です。供養するところには必ず、回向があり、回向には必ず供養がともないます。私たちの究極の願いは、「安心」という「安らぎ」のこころを、共に得ることです。
「供養」の善行を繰り返して、亡き方々の平安を祈り、他の人々の幸福を願います。その功徳によって、私たち自身も次第に「安らぎ」の世界につつまれるのです。こんな気持ちで帰郷ください。そして多くの人に感謝しましょう。
今日は人類史上初めての原爆が投下された悲惨な日です。広島で多くの方々がお亡くなりになりました、追善の供養を心して勤めましょう。二度と愚かな争いを起こさないためにも、そのためにも小さな争いをおこさないように、人々に安心の心をめぐらしましょう。広島でお亡くなりになりました皆様のご冥福を祈ります。
今夜は「にんげん学」一宮講座、明晩は東京講座です。にんげん学を修めることも回向の心です。今日は周りの人に感謝の手を合わせる日としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※心のオアシス「特定非営利活動(NPO)法人こころのはな」であなたの個性を発揮してみませんか?。学校で何か違和感を感じる、自分が学びたい、伸ばしたいと考えていることを学べていないのではと鬱々としておられる学生の皆さん、ご両親の皆さん、ご一緒に学び合い、教え合いませんか。
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こころのはな農園で収穫した「枝豆」です。


タマネギです。