済んでしまったことは

おはようございます。

8月の最終日、一ヶ月の反省をしっかりしたいですね、そして新たな一週間の始まりであり9月の始まりの週、じっくりとスタートしましょう。今月のご訪問ありがとうございます。お訪ねいただき感謝致します。お陰様で毎日書かせていただきました。
昨日の夕方まで開校されました「M&Uスクール」受講生の皆さん、ありがとうございます。久しぶりにお会いできお話をさせていただき感謝致します。学びを実践し自然と醸し出される美しい人間性を養いましょう。お元気でご活躍ください。美しい人間性を醸し出すには「日々何を思い暮らすか」です。来月もよろしくご出席ください。
私は「論語読みの論語を知らず」となるときがあります。ただ読んでいるだけ、情けなくなります。このことを反省、総括して9月に入ります。
論語、八佾(はちいつ)第3、21条「前略・・・成事(せいじ)は説かず、遂事(すいじ)は諫(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず」と孔子は説いています。この条を読みますと、「ドキッと」します。
孔子はある時、弟子が魯の王様に説いた話を聞き「済んだことは仕方がない。」と「弟子の言葉の誤りを戒めたのです。」。
この条を読む度、弟子たちへの指導のまずさを思い知ります。「できてしまった事柄については、今更その曲折を説いても仕方がない。なしとげた事柄については、こうすべきであったと後から諫(いさ)めて見ても仕方がない。過去の事は今更とがめだてして見ても始まらぬ。」。
命令指示を出しながら、途中で進捗具合(しんちょくぐあい)、管理、注意もせず、結果だけを見て云々するのは、仁があるとは思えない仕儀と反省。己の怠り注意不足が過ちを起こさせた。
いつも書いています、失敗や過ちは「一人の過ちではなく、チーム、部署全てで起こす。特に上に立つ者の怠慢、管理不行き届き」からです。
「任せたよ」といいながら「結果が思わしくないと知って怒るのは、駄目な上司の典型」。そんなことを胆に銘じ、今日は静かに反省、細かくなりすぎないように、温かく寛大な気持ちで見守り、事が確かにできるような9月にしたい。
修身(しゅうしん。「身を修める」ことは意志を実行するに欠かせないもの)は幾つになっても大事だとしみじみ反省。今月もありがとうございます。新しい週が素晴らしい週でありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌