名に恥じない

おはようございます。

雨で始まった9月、長月、今月もよろしくおたずねください。強い雨が降っています、被害が出ないことを祈ります。
陰暦の月名は、その意味はよくわからずとも、何かしらいいものです。季節感が何となく感じ伝わってくるのが嬉しい。この何となく・・・という感じが私は好きです。
「名は体を表す」などとも言います。私の名を見て、皆さんはどのように感じてくださっているのでしょうか?・・・、まぁわからない方がいいのかもしれません?・・・。
名前負けしないようには心掛けてはいます、姓名の姓の方は生まれたときの氏ですが、名の方は師匠にいただいた法名。名に恥じないように大切に、師の恥にならないようにと心しています。
そのために「反省の回路を開く」ことが大事と思っています。反省するという回路を持っていませんと、反省の仕方がわかっていないので、後悔しかできません。反省し修正しようとしても、「正しい反省、修正ができない」ようでは、いくら希望を持ったとしても、しばらくすると「だめだ」「やっても同じだ」という回路しか生まれず、せっかくの能力を生かすことができなくなり、迷いのスパイラル、後悔の堂々巡りです。
論語、学而(がくじ)第1、4条「曾子曰(そうしいわ)く、吾、日に吾が身を三省(さんせい)す。人の為に謀(はか)りて忠ならざるか、朋友(ほうゆう)と交わりて信ならざるか、習はざるを伝うるか。」
意は「私は毎日、三つのことについて反省する。人のために誠心誠意考えてあげられたか。友人とのつきあいで「信(言葉と行いが一致すること)」であったか。しっかり身についていないことを、受け売りで人に教えたのではないか。と。」
反省ができると、ステップアップできる回路ができると曾子は言っています。曾子孔子の弟子であり、46才も若かったのです。そんな曾子孔子の教えを忠実に実践したのですから、頭が下がります。
「人に対して誠実であれ」という言葉はよく聞くところですし、私も言います。毎日、朝、誠実であれと念じ、夕べに誠実であったかと反省する。いつも真剣に取り組む。こんな姿勢で生きたいと念じています。私はこのような思いを日々することはとても大切だと思っています。思いを大切にして行動しなければ、決して人格は養えないからです。
人から大切にしてもらいたいと誰しも思うのではないでしょうか。人生は誰でもが思うことをすれば、好感度がアップするのです。このような行為が仁であり、恕(じょ)です。
曾子の言っているシンプルな三省なら毎日できます。一日の終わりに反省があって、次が始まります。「目標を確認して反省するという循環」です。でなければ次へのステップアップは得られないことを知るべきです?。何故ステップアップしないのだと悩んでいる人は「目標を確認して反省するという」心のシステムがないのです。
人のためを思い、真心をこめてやったか(忠)。友人に対して約束を守ったか、誠実であったか(信)。自分が受け売りでものを言わず、師から習ったものが身についているか(習)。
「人にどう対応したか」「友だちに誠意を尽くしたか」「復習をしたか」ということです。比叡山下山以来常に目の前に師の存在を観て日々過ごしています。今月も素晴らしい月でありますようにお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌