三世を生きる

おはようごいざいます。

心華寺・みのり大祭「採燈大護摩法要」おまいりいただきありがとうございます。好天に恵まれまれ、天神地祇(てんじんちぎ)もお喜びでした。皆様方の添え護摩祈願は確かに神々に納受されました。
また沢山の皆様にお手伝いいただき感謝いたします。何事でも同じですが、法要はより一層皆様方のご奉仕がありませんと運んでまいりません、皆様方の身施には大きな徳となり天の宝庫へ収められることでありましょう。時来たりますれば、必ず天下り皆様をご守護くださることでありましょう。
東日本大震災復興支援」チャリティバザーへも沢山のご支援ご協力ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
皆様も大火炎となる前の大火煙が龍神の姿となり、天に昇って行かれる姿を拝まれたときの思いはいがかだったでしょうか?まさしく龍神が天空に昇っていかれる姿を目の当たりにできたと実感されたのではないでしょうか?
私はいつも、大火煙に抱かれ、煙の竜巻に巻かれ天上に昇る思いがいたします。そして天空に止まり「例えますと、ヘリコプターがホバーリングしたような感じで皆様方を俯瞰した感じで護摩を修しています」。おかしな話ですが、そのように感じるのです。
祈るときの意識は「三世を生きているという念」で祈ります。三世とは「過去・現在・未来」です。言葉を換えますと、「一瞬に祈る」のです。三世は「一瞬の中に在るからです」。人は「一瞬一瞬、生死を繰り返す」のです。
私たちが生きるのは常に一瞬一瞬です。たとえば「あっ」と言った瞬間に、現在は過去になって、未来が現在にやってくるのです。何もこのようなことは大げさに考える必要はないのですが、一瞬だということは確かです。過ぎ去った時間は、二度と戻ってきません。
過去にどのような栄光があっても、過去は過去。同じように、何かを失敗して後悔していても、やはり過去は過去です。
逆に未来は、どのようにも生まれる可能性があります。未来は、いまの瞬間に何をしているかによって変わってきます。
現在から未来が生まれて、現在は過去となって死んでいくのです。そう考えていきますと、私たちは常に瞬間にしか生きていないということに気づくでしょう。さらに言いますと、生きるということは、一瞬一瞬に自分の命をかけているということです。そうした真剣さを持って瞬間を生きていたら、何事に対しても手を抜こうとは思えなくなるでしょう。
そんな思いで昨日は護摩を修し、良いことも、悪いことの双方の過去にとらわれている煩悩を焼き尽くしたのです。日々祈りますときの一瞬に全身全霊を傾けてお祈りください。必ずや皆さんの未来は輝かしい未来となります。今日は一瞬を大切に休日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌



















お手伝いの皆さんへのお供養を大阪のKさん、愛知一宮のGさん、大阪のTさんが作ってくださいました。毎月毎回ありがとうございます。

仙台のBさんがおまいりお手伝いにおいでくださいました。Bさん遠路ありがとうございます。また「にんげん学」東京講座でお会いできますことを楽しみにしております。