教えること学ぶこと

おはようごいざいます。

昨日も史学の重要性を書きました。私は毎日書物を何冊か横並びにして、同じようなことを書いてあれば、甲は、乙はといった具合にその考え方、行動などの共通性や違いを読み楽しんでいます。
先日も紹介しましたが「呂子春秋」の54に「教えることと学ぶこと」として書いてありますので紹介します。
「君子(道を歩む者)の学問というものは、ある学派の学問を祖述する際には必ず師の名を挙げ称えて道理を明らかにし、学派の発展のために必ず力をつくして伝統をより立派にする。学派の発展に力をつくさない者を師に背(そむ)く者といい、学派の学問を祖述しながら師の名を挙げ称えない者を道に叛(そむ)く者という。こうした背叛(はいはん)の人を、賢い君主(社長)は朝廷に役人(管理職)として受け入れず、君子は交友を共にしない。だから教育というものは、道義を実践する際の要であり、学問するということは知性を磨きあげる要なのである。道義を実践する際の要とは、人に利益を与えることで、人に利益を与えることは教育を与える以上のものはない。知性を磨きあげる要は、自己の感性化であるが、自己の感性化は学問による以外にない。学問して人間ができあがれば人の子として命令されなくても親孝行であり、人の臣下(社員)となっては命令されなくても忠である。君主(社長)となれば力を用いなくても世の中は治まり、大きな権力をもてば天下を平冶(へいち)することも可能となる。かつて子貢(しこう)は孔子にたずねていった。「後世の人は何といって先生を誉(ほ)めたたえるでしょうか」。孔子は答えた。「わたしがどうして称讃にあたいしようか。どうしてもということであれば、「学問を好んで飽(あ)きることがなく、人を教えて怠(おこた)らない」。そういってもらって宜しかろう」。天子(天皇)は大学に行き、古の聖人たちを祭ることと、あわせて以前師として仰いだ人々を年令の順に招待し接待する。こうすることによって天子が学問に敬意を表し、師を尊んでいることを世に示すのである。」。
いかがですか、家庭を守る、会社を守る、国を守る要道です。史書を学ぶ大切さは少しはご理解になれたでしょうか。安泰を願いながら、讃えることを知らず、批判する人が昨今多いのが今日の不安定な社会を作り出している要因ではないかと憂いています。学ぶことはどのような行動実践を為すべきかが上記に明快に示されています。良い休日をお送りください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌